ストーリー
凱旋門賞馬トニービンが日本で種牡馬生活をスタートさせたのは1989年のこと。当時輸入された種牡馬としてはトップクラスの実績を持つことから生産地での期待は高く、優秀な繁殖牝馬たちと交配されることになった。
そうして生まれた初年度産駒たちは、いきなりの大ブレイクを果たす。ベガが1993年の桜花賞とオークスを連覇し、ウイニングチケットが日本ダービーを制したのだ。さらにサクラチトセオーやアイリッシュダンス、ロイスアンドロイスなど活躍馬が相次いで登場、2世代目からはエアダブリンなども誕生し、1994年にはリーディングサイアーの座を獲得する。
超一流種牡馬へと上り詰めたトニービンの、初年度産駒の1頭がノースフライトだ。体質が弱かったためデビューは3歳春の5月と遅れたが、これを2着に9馬身差の大楽勝で飾ると、父と同様、一気に超一流の座へと駆け上がっていくことになる。
2戦目の500万下も8馬身差で圧勝したノースフライトは、3戦目・900万下特別では伸び切れずに5着と敗れたものの、格上挑戦で臨んだ4戦目・府中牝馬Sを勝利、デビューから5か月半で早くも重賞初制覇を果たす。
さらにエリザベス女王杯でもホクトベガの2着に健闘し、阪神牝馬Sでは同じトニービン産駒のベストダンシングを振り切って重賞2勝目をマーク。同世代の牝馬では二冠馬ベガに次ぐ実力馬として認識されるようになり、4歳の春を迎えることとなる。
そして、この1994年シーズンこそノースフライトにとってのクライマックスだった。
まずは京都牝馬特別。単勝オッズ1.4倍の断然人気を背負ったノースフライトは、4コーナー先頭の強気な競馬で2着フェイヴァーワンを6馬身も突き放す。続くマイラーズCでは、マーベラスクラウンやネーハイシーザーといった後のGIウィナーらを撃破。ますます評価は高まっていく。
もう手にするのも時間の問題とされたGIタイトルも、安田記念であっさりとつかんでみせた。スキーパラダイスやサイエダティといった強豪外国馬、あるいはスプリント王サクラバクシンオーらが出走していたため5番人気に甘んじたノースフライトだったが、ここで見せたパフォーマンスは間違いなくナンバー1だった。後方から直線一気の豪脚で、2着トーワダーリンに2馬身半の差をつける完勝のゴールへと達したのだ。
さらに秋。初戦として挑んだスワンSではサクラバクシンオーの2着にとどまったが、マイルCSではしっかりと雪辱を果たす。好位抜け出しを図るサクラバクシンオーに、背後から襲い掛かり、交わし、1馬身半差での勝利。JRA賞最優秀古馬牝馬の座を確実なものとする優勝だ。
このレースを最後に引退したノースフライト。まさしく“一気に駆け上がった”1年半・11戦の競走馬生活であった。