「マカヒキで悔しい思いをした凱旋門賞、リベンジしたい」

当初ぶっつけという話が前哨戦(ニエル賞)を使うことに変更。かなり皆さんで吟味されている?

「オーナーは任せてくれますが、武豊騎手とはよく話し合っています。その中で、彼が『弥生賞のパフォーマンスが最も低かった』というので、ならばぶっつけよりひと叩きしようと」

8月24日には武豊騎手が乗って追い切り。突き抜けましたね?

「久々なのに動きましたね。能力の高さを再認識しました」

2016年にマカヒキで挑んだ経験は教訓として活かされそうですか?

「当時はマイフリヴァを一緒にフランスまで連れて行ったのですが、レース当日はマカヒキ1頭で競馬場へ移動したところ、激しくイレ込みました。今回、帯同するマイラプソディには前哨戦でも凱旋門賞当日も、競馬場まで一緒に移動してもらうつもりでいます」

改めて友道調教師にとって凱旋門賞とは?

「数ある海外レースの中でも別格です。とくにマカヒキで悔しい想いをしたので、リベンジしたい気持ちは強いですし、やはり日本人初の凱旋門賞勝利調教師になりたいという気持ちもあります」

2016年にはマカヒキで凱旋門賞に挑戦した。左は鞍上のC.ルメール騎手。(Photo by Kazuhiro Kuramoto)

海外はヴィブロスやアドマイヤマーズでも制しています。海外遠征で成功する要因は?

「環境の変化が大きいので順応できる馬作りを普段から考えています。どこでも、どんな環境でも平常心で走れる馬を作ろうと常に意識しています」

ところで、友道康夫調教師は大学時代は獣医師になろうとしておられたのですよね?

「動物好きで獣医を目指していました。でも18歳で馬に乗ってみたら好きになりました。その後、大学の馬術部時代は阪神や京都の競馬場でアルバイトをしました。関東から来たミスターシービーやシンボリルドルフといった三冠馬を間近に見られて、競馬の世界にハマっていきました」

浅見国一調教師や松田国英調教師の下で調教助手をされていました。

「浅見先生はエアロタイプの勝負服や鞍下のスポンジ、当日輸送など、次々と斬新なアイデアを導入されました。松田先生も栗東では真っ先に集団調教を取り入れていました。どちらも勉強になったし、今の私の厩舎の礎になっています」