「調教師を引退しても、馬への愛情は失わない」

タイキシャトルでジャックルマロワ賞を制した藤沢調教師。右は岡部幸雄元騎手。(Photo by Satoshi Hiramatsu)

藤沢調教師といえば海外競馬への挑戦も早くから取り組んでおられました。

「昔は海外というと私達人間の方が慣れていなかったから、水一つをとっても『先に現地から運んで日本にいる時から飲ませた方が良いのでは?』とか、慎重になりました。でも、馬はそれなりに順応してくれるケースが多かった。だから調教でも動くんだけど、そうなると今度は人間の方が張り切っちゃう。日の丸を背負って遠征しているという意識があるから頑張り過ぎて、追い切り時計が速くなるなどやり過ぎちゃう。タイキブリザードやカジノドライヴなど遠征を重ねていくうちにそれはすごく感じました。だから追い切り時計も乗り手にはあえて遅めで指示するなどしたけど、それでも速い時計が出ましたね」

1998年にはタイキシャトルでジャックルマロワ賞(仏G1)を優勝しました。

「あの馬はヨーロッパの馬に混ざっても負けないスピードがありました。不良馬場の安田記念を勝ってフランスへ渡ったのですが、向こうは例年になく乾燥していると言われた年で、今度はパンパンの馬場になりました。彼の持ち味のスピードが活きる得意な馬場になったので、メンバー的にもまず負けないだろうと思っていました。そもそもアメリカ生まれで育成はアイルランド。そして日本に来て競走馬となったので、輸送には慣れていましたね。海外に出て勝つのはこういうレベルの馬なのだと実感しました」

その反面、ゼンノロブロイのインターナショナルS(英G1、2着)、スピルバーグのプリンスオブウェールズS(英G1、6着)、レイデオロのドバイシーマクラシック(2年連続で挑んで4、6着)など、悔しい想いも何度もしました。

「外国は賞金が安いのに馬は強くて、わざわざお金をかけて遠征するモノではない、なんて冗談で言ったけど、半ば冗談ではない部分もあります。でも、挑戦して経験しないと分からないことも沢山あります。多くの馬主さんが協力してくれてあちこちへ行かせてもらったのは、厩舎の財産になりましたね」

海外遠征した馬に限らず、国内でも多くのG1馬を育てられたわけですけど、苦労の末にG1馬になったという馬はいましたか?

「G1を勝つような馬は苦労をした覚えがないんですよ。走る馬は調教師いらずです。ある程度やっていれば放っておいても走ってくれます」

2006年にヴィクトリアマイルを勝ったダンスインザムードはデビューから4連勝で桜花賞を制したものの、その後は連敗続き。それも二桁着順に終わることもたびたびというところから立て直しました。これなどは苦労されたかと思うのですが?

「牝馬だと飼い食いが細くなったり、時計が出過ぎたりというのはあるけど、それでも走っちゃうから少しのケアが必要なケースはあります。それはグランアレグリアなども同じです。そういう意味でダンスインザムードの場合、立て直すのに苦労したというより1度走らないようにしてしまったことが問題でした。何とかしてあげられたんじゃないか?というのは今でも考えることがあります」

惜敗続きだったゼンノロブロイは一変して天皇賞(秋)、ジャパンC、有馬記念とG1を3連勝(2004年)しました。この時は「調教を少し緩くした」と言われていたと思うのですが?

「それも苦労した末に、というわけではありません。牡馬だと期待されていても頑張らないのが時々います。ロブロイは良い馬だったけど、並んでから抜け出そうとしない面がありました。これはお父さんのサンデーサイレンスもそうだったようで、オリビエ(・ペリエ騎手)と話していたら『それが大きく影響していると思う』と。それで彼に任せたら3連勝してくれたんですよ」

藤沢調教師が管理したゼンノロブロイ。2004年に天皇賞・秋、ジャパンC、有馬記念とG1を3連勝する。(Photo by Getty Images)

ペリエ騎手だけでなく、現在の(クリストフ・)ルメール騎手など多くの外国人騎手に鞍上を任せてきました。藤沢調教師からみて、彼らの何が優れていると思われますか?

「こと競馬という意味では、日本よりヨーロッパやアメリカの方が先進国としてやってきて、そこで一流の成績を残してきた彼らにはそれなりのプライドがありますよね。それでも日本にやって来るのは何故か?と考えたらハングリー精神が違うと感じました。実際に技術や実績も優れているのですが、加えてハングリー精神もある。だから彼らを乗せると馬は120%の力を出し切ります。そうなると半端な仕上げでは馬がもたなくなるからこちらとしてもしっかりと恥ずかしくない仕上げをしなくてはいけない。彼らにはこういった相乗効果も望めました」

馬の話に戻ります。とくに印象に残っているレースや馬がいたら教えてください。

「うーん、難しい質問だね。走らない馬の方がかえって覚えているけど、あえて挙げるならやはりレイデオロのダービーでしょうか。序盤で遅い流れになった時はペルーサで負けた時の再現になるかと思いました。でも、クリストフが途中から一気に先団へいざないました。遅いからといって前へ進出させると、パーッと行っちゃって最後はバタバタになる可能性もあるから慎重になるものです。ましてダービーですからそんな競馬はできないと思うのが普通でしょう。でも、クリストフが実に大胆に乗ってくれましたね。おかげでダービートレーナーになれました(笑)」

走らない馬の方が覚えておられるというのはどういう意味でしょう?

「例えばレディブロンドは5歳だった2003年に1000万条件でデビューすると、そのレースを勝って5連勝。スプリンターズSまで駒を進めました。他にも新馬戦どころか未勝利戦もなくなった後にデビューさせて勝ち上がった馬は何頭かいました。そういう時、周囲からは『さすが藤沢先生』なんて言われたけど、自分ではこれっぽっちもさすがだなんて思っていませんでした。これは謙遜でもなんでもなくて、デビューにこぎ着ければ走るだろうと思って時期を待っていた馬が結局、デビューできずに終わってしまうケースも何頭もいたんです。当然こういう馬は話題にもならないから表に出ることもないけど、自分としては馬主さんにも馬にも申し訳ないことをしたという想いがいつまでも残ります。結局走らせてあげられないなら、もっと早くに引退させてあげるべきだったなと。未勝利で終わってしまう馬もそうですが、何とかしてあげられなかったかという気持ちは消えることがありません」

少し話題を変えて“人”の話をお聞かせください。角居勝彦調教師、山崎尋美調教師、また最近では武幸四郎調教師や四位洋文調教師、そして来年開業予定の蛯名正義調教師など、多くの方が開業前に藤沢厩舎で修行をされましたね。

「自分が技術調教師だった時に面倒をみてもらっていた厩舎が沢山勝ったんです。やっぱり調教師が2人いると勝つのだなと思ったので、研修したいという人にはどんどん来てもらうようにしていました(笑)。それは半分冗談ですが、そういう若くてやる気のある人が勉強に来ると、こちらとしても見本になるように動きますよね。長年調教師をやっているうちにルーティンワークとして当たり前にやっていたようなことも、彼らに説明することで、改めて考え直す。つまり、教えているようで実は自分にとっても勉強になっています。『なぜこの調教をするのか?』とか『どういう意味があるのか?』とか、再確認できるのです。角居くんなどは真面目だったから質問も多かったし、当然いい加減な答えはできない。蛯名くんもきっと良い調教師になると思いますよ」

「一勝より一生」と刻まれているJRA1500勝達成時の記念碑。(Photo by Satoshi Hiramatsu)

ところで今後の競馬界に期待することや提言などはございますか?

「賞金を含めアシストがしっかりしているJRAのなかで、不自由なく競馬をさせてもらっています。今の世の中で、恵まれた環境下にあることを私達は自覚しないといけないでしょうね。だからこそ1頭の馬にもっと手をかけて、色々な意味で馬に対して還元してあげることが大切だと思います。今は馬の数も多くなって、どうしても自分のところで調教する時間は短くなっています。そんな中でも人任せ、牧場任せなどにするのではなく、できる限りの時間をかけて馬と接する。そういう姿勢は皆に持ってもらいたいです。実際、もっと時間をかければ走る馬もいますから」

先生ご自身、引退された後もそういう気持ちは持ち続けるのでしょうね。

「調教師ではなくなるから馬との接し方は違う形になりますが、これまで沢山良い経験をさせてもらってきたので、馬への愛情は失わないでしょう」

定年制度のない他の国で調教師になったり、馬主になったりという可能性もあるのではないですか?

「調教師ですか? 少しゆっくりさせてください(笑)。馬主はもっとダメです。調教師と絶対にトラブルになってしまうでしょうから(笑)。引退後に関しては今のところノープランです。おかげ様で今はまだ忙しくさせてもらっているし、解散まで少し時間があるので、感慨に耽るのはまだ先ですね。残りわずかといえまだ調教師として信頼してくれる人がいる以上、辞めた後のことは考えず、まずは手元にいる馬達のことだけを考えてやっていきます」

では最後に定年までの目標などがあれば教えてください。

「JRA1500勝を達成させてもらった時の記念碑に、目先の勝利よりもその馬の将来を考えて接するという意味の“1勝より一生"という言葉を刻ませてもらいました。この気持ちは最後まで持ち続けます。もう2月で辞めちゃうから“一生より1勝だろ"とはならないように頑張りますので、最後まで応援よろしくお願いいたします」

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