ストーリー
競走馬のタイプはさまざま。2歳時から引退までG1で活躍を見せる馬もいれば、3歳秋や古馬になって成長する馬もいる。しかし7歳、8歳になって一変となると、中央競馬の平地ではカンパニーくらいのものだろう。
カンパニーのデビューは明けて3歳を迎えた04年の1月。新馬戦を快勝し、4戦目にはオープン特別のベンジャミンSを制覇。続くラジオたんぱ賞(現ラジオNIKKEI賞)で2着となるなど、競走馬として順調な滑り出しを見せた。しかし直線一気の脚質のため、先頭までは突き抜けられないレースも多々。04年の京阪杯、翌05年の中山記念で2着。安田記念でも5着になるなど好走を重ね、ようやく重賞初制覇にたどり着いたのは同年秋の京阪杯(当時1800m)だった。ここは直線で豪快に突き抜け、2着アサカディフィートに3馬身半差の快勝。さらに、06年の大阪杯ではマッキーマックス以下を差し切り重賞2勝目を挙げ、これで「勝ち方」を覚えたかに思われた。
しかし、強敵相手になればそう簡単に前も止まってくれない上、同タイプの差し馬もより強力になる。その後、07年の関屋記念を制するなどしたが、G1になると天皇賞(秋)でメイショウサムソンの3着、宝塚記念やマイルCSでは5着と、どうしても掲示板に載るまでが精一杯の競馬が続いていた。
そんなカンパニーに転機が訪れたのは、7歳を迎えた08年の中山記念。初騎乗の横山典弘騎手がなんと道中2番手の積極策を見せ、エイシンドーバーに1馬身4分の3差をつけ快勝したのだ。同年秋のG1は末脚勝負に戻って勝てなかったものの、翌09年には再び中山記念で先行策から連覇。さらに、前年に先行して8着に敗退していた宝塚記念では4着と、G1の先行策では初の好走を見せた。そして休養を挟んだ毎日王冠では、好位追走からウオッカを見事に交わし去って優勝。これまで東京競馬場では直線勝負で届かない競馬ばかりだったが、脚質転換で8歳にしてついに「苦手」とされた東京コースも克服した。
そんな勢いに乗って挑んだ天皇賞(秋)だったが、ファンもまだ半信半疑。前走よりさらに相手が強化したこともあって、カンパニーは5番人気の評価にとどまっていた。しかしここでもカンパニーは、中団で流れに乗って直線では上がり32秒9の末脚炸裂。内でやや前が詰まっていたウオッカを置き去りにすると、前で粘るスクリーンヒーローも鮮やかに差し切って、中央競馬史上初となる「8歳馬によるG1制覇」を達成したのだ。
返す刀で出走したマイルCSは引退レース。距離が短縮されても無難に先行集団の直後につけると、逃げたマイネルファルケを楽に捕らえてG1連覇、見事に引退の花道をみずから飾る競馬となった。2〜4着には逃げ・先行馬が残り、以前のカンパニーなら「差し脚届かず」に終わる展開だったはず。引退レースで思わぬ敗戦を喫する馬も少なくないが、カンパニーはファンの目に成長した姿を最後までしっかりと焼きつけ、次の仕事が待つ北海道へと旅立っていったのだった。