ストーリー
92年の産駒デビュー当初から、数多くの活躍馬を送り出したトニービン。産駒の全G1・11勝中9勝が東京競馬場、そしてG1馬9頭すべてが東京でG1優勝経験があるなど、東京巧者として知られていた。そんな評価を決定づけたのが、ジャングルポケットだった。
ジャングルポケットは00年の札幌芝1800m戦でデビュー。2番手から抜け出して快勝すると、続く札幌3歳Sも優勝。ひと息入ったラジオたんぱ杯3歳Sではアグネスタキオンの前に敗れたが、クロフネ(3着)には先着する2着。3戦2勝、2着1回の好成績で2歳戦を終えた。
この頃からファンの間で注目されたのは、渡辺栄厩舎、鞍上:角田晃一(3戦目から)、馬主:齊藤四方司(当時)という布陣。担当厩務員まで含め、4戦全勝の成績を残しながらクラシック出走が叶わず引退したフジキセキと同じで、その雪辱戦と見られていたのだ。
ジャングルポケットの年明け初戦は、自身初の東京コースとなる共同通信杯。好位から早めに動くと、プレジオに2馬身差をつける快勝で、G1制覇へ向けて好スタートを切った。
しかし、皐月賞ではゲートを出た直後に躓き、最内枠だったこともあって苦しい展開に。大外をまくってよく追い上げたものの、好位から抜け出したアグネスタキオンに突き放される3着に終わったのだった。
ところが、ダービーを前にしてそのアグネスタキオンが屈腱炎を発症(その後引退)。自身が共同通信杯の走りから東京向きと評されていたこともあり、日本ダービーは非常に大きな期待を集める一戦となった。
その期待に応えるように、ジャングルポケットは直線で大外に持ち出すと、さらに外から迫るダンツフレームの追撃を抑えて優勝。陣営の悲願を達成するとともに、自身初のG1制覇を成し遂げた。
その後、ジャングルポケットは札幌記念で3着、菊花賞では4着に敗退。ダービー馬としては物足りない走りが続いたが、復活の舞台はやはり得意の東京コース・ジャパンCだった。一歩先に抜け出した前年の覇者・テイエムオペラオーを外から猛追。このレースで起用されたペリエ騎手の鞭に応え、ゴール寸前で捕らえてG1・2勝目を挙げたのだ。
この勝利で年度代表馬のタイトルを獲得したジャングルポケット。翌年は海外遠征のプランもあったが、阪神大賞典、春の天皇賞では2着敗退。また、宝塚記念前と有馬記念後に脚部不安などを発症したこともあり、この年4戦未勝利で有馬記念7着を最後に引退した。
種牡馬入り後はトニービンの後継種牡馬として期待され、その初年度から重賞勝ち馬を輩出。2年目にはトールポピーが登場し、阪神JFに加え、父が2度G1を勝ち取った東京2400mの舞台でオークスを制している。今後の産駒には日本ダービー、そしてジャパンCの父子制覇も大いに期待されるところだ。