ストーリー
中央競馬における牡馬クラシック三冠馬はディープインパクトまで計6頭(09年現在)。いずれも歴史に名を残す名馬として今も語り継がれている。一方で、二冠を制しながら、残る1レースで2着に涙をのんだ「準三冠馬」は、三冠馬よりも少ない4頭しかいない。中でも、エアシャカールは最も三冠に近づいた二冠馬だった。
エアシャカールのデビューは99年秋。2戦目の未勝利戦を勝ち上がり、500万2着を挟み、暮れのホープフルSを優勝。さらに、年明け初戦の弥生賞で2着と好走すると、鞍上「武豊人気」もあってクラシックの有力候補に数えられた。
迎えた皐月賞は2番人気。後方からレースを進めたエアシャカールは、4コーナー手前で大外から一気に進出。直線では内にもたれ気味になりながらも、1番人気のダイタクリーヴァを競り落として、まず「一冠」を手中にした。
決して器用とは言えないレース運びで皐月賞を制したエアシャカール。広い東京へのコース替わりは好材料で、続く日本ダービーでは1番人気に支持された。レースは皐月賞同様に後方を追走すると、大外から進出して直線坂上で単騎先頭、二冠は目前に迫っていた。
しかし、残り100mで外から並びかける馬が1頭。武豊の兄弟子・河内洋が手綱を取るアグネスフライトだ。ゴール前は2頭とふたりの激しい追い比べ。最後に栄冠を勝ち取ったのはアグネスフライトだった。河内洋はこれが日本ダービー初制覇。そして武豊のダービー3連覇、エアシャカールの三冠への夢も絶たれる非常に大きな「ハナ差」となった。
エアシャカールはその後、英国の“キングジョージ”に遠征してモンジューの5着に完敗。帰国初戦の神戸新聞杯もフサイチソニック、アグネスフライトに次ぐ3着と、ダービーのハナ差負け以来、勢いをなくしていった。
そんな中、迎えた菊花賞でエアシャカール・武豊は意外な策に打って出る。道中は好位追走、そして外ではなく内ラチ沿い。春二冠とはまったく異なる競馬だった。しかし、4コーナーでは外から不利なく進出するアグネスフライトに対し、エアシャカールは馬群の中。作戦失敗、勝負あったかと思われた。ところが、直線に向くと形勢逆転。アグネスフライトが伸びを欠く一方で、エアシャカールは末脚爆発。馬の間を割って突き抜けると、トーホウシデンとの叩き合いも今度はクビ差で制し、見事に二冠を達成したのだ。
その後のエアシャカールは勝ち星に恵まれず、02年の有馬記念9着を最後に引退。さらに、翌春には放牧中の骨折で早世してしまう。そんなクラシック後の不運、そして三冠のかかる「皐月賞+ダービー」ではなく、「皐月賞+菊花賞」の二冠馬だったこともあり、近年は語られる機会も少なくなってきた。しかし、三冠に最も近づいた二冠馬は、まぎれもなくこのエアシャカール。ぜひとも記憶にとどめておきたい名馬の1頭だ。