ストーリー
父は快速馬サクラユタカオー、祖母はオークスを制したシャダイアイバーでオープン/重賞級を多数輩出している系統だ。1995年生まれ、スペシャルウィークやセイウンスカイらの同期にあたるエアジハードは、血統的な可能性を十分に抱かせるサラブレッドだった。
事実、2歳(現表記)12月の新馬戦では2着を3馬身半突き放して1番人気に応える快勝。明け3歳2月に迎えたカトレア賞も差し切って、デビュー2連勝を飾った。
が、続くスプリングSではゲート内で暴れるなど、まだまだ馬が若かった。脚部にも不安を抱えていた。気性的・体質的な弱さは、スプリングSが出遅れから追い込んでの4着、NHKマイルCは中団から差を詰めたものの8着と、不本意な結果を呼ぶ。
能力があることは確か。スピードも切れもある。だが、そのすべてをレースで出すことができない。それがこの頃のエアジハードの姿だったといえるだろう。
立て直されて復帰した3歳秋には、900万下のマイル戦を勝利、1400mの準オープンも突破、さらには富士Sで重賞初制覇と、古馬を相手に一気に階段を駆け上がっていったエアジハード。いよいよ本格化を見せはじめて、翌1999年・4歳シーズンには、キャリアのクライマックスを迎えることとなる。
この年の初戦・谷川岳Sはナリタプロテクターの2着。ただし休み明けの不利を背負いながらもクビ差の接戦、1分32秒5の好タイムで駆けており、素質の片鱗は見せた。
続く京王杯スプリングCも2着。こちらも大善戦で、マイペースで逃げたケイワンバイキングを2番手からねじ伏せ、あのグラスワンダーの差し脚には屈したものの4分の3馬身差に踏みとどまっている。
そして第49回安田記念。単勝オッズ1.3倍の大本命グラスワンダーとの叩き合いにハナ差競り勝って、エアジハードはついにGI初勝利を飾るのである。
その年の秋に示したパフォーマンスも一級のものだった。
まず第120回天皇賞(秋)では、スペシャルウィークの3着。4か月半ぶりの実戦ながら、レコードタイムからコンマ2秒と差はわずか、一瞬先頭かという場面も見せて、あらためてこの馬の強さを感じさせる惜敗だった。
その強さを遺憾なく発揮した第16回マイルチャンピオンシップでは、キングヘイロー、ブラックホーク、アドマイヤカイザー、キョウエイマーチといった難敵を相手に、1馬身半差の差し切り勝ち。エアジハードは名実ともにマイル界の頂点に立つ。
残念ながら世界制覇を期して挑んだ香港Cでは、直前に屈腱炎を発症、レース回避・引退となってしまったエアジハード。思えば気性や体調に問題を抱えながらの競走馬生活だった。「もし万全なら、どれほど強かったのか」と、夢を抱かせる。そんな名マイラーだったともいえるだろう。