ストーリー
80年代後半のヨーロッパを代表する名馬といえば、86年の欧州年度代表馬・ダンシングブレーヴの名前を挙げる人が多いのではなかろうか。3歳時に2000ギニー、エクリプスS、キングジョージ、そして凱旋門賞を制覇。中でも直線一気の豪脚を見せた凱旋門賞は、海外競馬に精通したファンの間では語りぐさとなっている。
そんなダンシングブレーヴが日本に種牡馬として輸入され、アメリカでG1・7勝を挙げたグッバイヘイローとの間にもうけたのが、00年の高松宮記念優勝馬・キングヘイローだ。欧米を代表する名馬と名牝の配合だけあって、デビュー前からその活躍を期待する声の非常に大きかった馬である。
その期待に応えるように、キングヘイローは97年秋に新馬、黄菊賞を2連勝。続く東京スポーツ杯3歳Sもマイネルラヴに2馬身半差をつける完勝を収め、無傷の3連勝でクラシック候補として名乗りを上げたのだった。
ところが、翌98年はこの馬にとって苦難の年となった。皐月賞ではセイウンスカイのスピードに屈して2着に敗れ、ハナを切る思わぬ展開となったダービーは14着に大敗。そして菊花賞も直線の伸びを欠いて5着。セイウンスカイ、スペシャルウィークと並ぶ「3強」に数えられながら、タイトルを手にすることすらなく、この年を終えてしまったのだ。
しかし、年が明けて99年は初戦の東京新聞杯、中山記念を連勝する好スタート。続く安田記念、宝塚記念では結果が出なかったものの、マイルから1800mで重賞を連勝したことが、この馬の進む道を大きく変えてゆくことになる。デビュー当初は誰も予想していなかったであろう、短距離路線への進出だ。
秋はマイルCSで、皐月賞以来久々のG1連対となる2着。そして初の1200m挑戦となったスプリンターズSでは3着に敗れたものの、4コーナー最後方から爆発的な末脚で追い込み、この距離への適性を証明した。
明けて4歳(現表記)を迎えた00年は、フェブラリーS13着を挟んで高松宮記念に駒を進めてきた。スプリンターズSの末脚を評価する声もある一方で、直線平坦の中京では同じ脚は使えないとみる向きもあり、ファンも半信半疑の4番人気評価であった。
そんな中、このレースでのキングヘイローは非常に強い競馬を見せた。中団を追走したものの、外枠のため距離損を喫して直線入り口では後方集団まで後退。しかし、馬場の中央を突いて抜群の脚を繰り出し、先行勢をまとめて差し切って、ついにG1タイトルを手中にしたのだ。
この年、有馬記念4着を最後に引退したキングヘイローは、種牡馬としてもその良血ぶりをいかんなく発揮。2年目の産駒から二冠牝馬・カワカミプリンセスが誕生し、3世代目のローレルゲレイロは父同様クラシックでは苦しんだものの、短距離路線でその素質を開花させた。今後は、父がなし得なかった牡馬クラシックを制する産駒の登場も期待されるところだ。