ストーリー
また、お前か!? 1992年・第37回有馬記念のゴールを、ファンは呆れながら、あるいは自分の不明を恥じながら見守るしかなかった。
勝ったのは16頭立て15番人気、単勝オッズ49.4倍の伏兵メジロパーマーである。
人気がなかったのも無理はない。このレース、4歳勢にはジャパンカップで復活の世界制覇を果たしたばかりのトウカイテイオーや安定感抜群のナイスネイチャがいた。3歳には、菊花賞でミホノブルボンの三冠を阻止したライスシャワーがいた。ジャパンカップ4着のレガシーワールド、5着のヒシマサルという2頭の無冠の大器もいた。
これらに対して5歳秋シーズンを迎えたメジロパーマーといえば、凡走の連続。京都大賞典では9着、天皇賞・秋では17着の大敗。逃げてはバテるの繰り返しで「ここでも、すぐに潰れる」と思われていたのだ。
だが、決して軽く見てはいけない馬だったはずである。
デビューからこの年の春まで、メジロパーマーの成績は25戦5勝、重賞勝ち鞍は札幌記念のみ。数字的には平凡だが、内容は紆余曲折だった。
2歳夏のコスモス賞で早々にオープン勝ちを飾ったものの、以後は12連敗。4歳夏に待望の重賞勝利をあげても出世できず、障害入りも試みたが、「障害をナメている」と陣営に判断されて平地に逆戻りだ。
ダートも走った。1200m戦の次走が2400m戦ということもあった。1400m戦をたたいて春の天皇賞というローテーションもあった。
同期のメジロライアンやメジロマックイーンの活躍を横目で見ながら、苦戦を続ける毎日。およそGIウィナーになるとは思えぬ道のりをメジロパーマーは歩んでいた。
それが激変したのが26戦目、重賞2勝目となった新潟大賞典だ。2着を4馬身引きちぎっての逃げ切り勝ち。この1勝が、メジロパーマーに自信を与えることになる。
続く宝塚記念でも逃げ切っての勝利。9番人気の評価をあざ笑うかのように、2着に3馬身差、3着はさらに4馬身後ろという完勝でGI初制覇を果たす。
さすがにマークがキツくなって、京都大賞典ではオースミロッチに絡まれ、天皇賞・秋でもダイタクヘリオスとのハナ争いを演じて大敗ということになったが、GI級の逃げ脚を持つことは事実。それを有馬記念で、遺憾なく発揮してみせるのである。
ダイタクヘリオスと競り合いながらも、余力たっぷりに4コーナーを回ったメジロパーマーは、そのままゴールへ一目散。後方の人気各馬に伸びはない。ようやくレガシーワールドが急追してきたが、メジロパーマーも力を振り絞ってハナ差だけ先着を果たす。
紆余曲折の競走馬生活で身につけたたくましさが渾身の粘りを呼び、メジロパーマーは、春秋グランプリ連覇という大快挙を成し遂げたのであった。