ストーリー
「名馬」といえばいくつもの大レースを制した馬が挙がるものだが、「心の名馬」と言うと少し話は違ってくる。素質がありながら大レースへの出走がかなわなかった馬や、好走すれど勝ち運に恵まれなかった馬。ファンに愛されたそんな名馬の代表的な1頭がナイスネイチャだ。
ナイスネイチャのデビューは90年の12月。2戦目に初勝利を挙げた後、翌91年夏に急成長を見せる。条件戦2連勝後、重賞初挑戦の小倉記念では、古馬相手ながらも好位から2着・ヌエボトウショウに2馬身の差をつける快勝。さらに京都新聞杯では、前年の阪神3歳Sの覇者・イブキマイカグラや、皐月賞2着のシャコーグレイドを下して条件戦から4連勝を飾った。
初のG1・菊花賞ではレオダーバンの4着に敗退し連勝こそ止まったものの、続く鳴尾記念を制してデビューから1年で重賞3勝。先々のさらなる飛躍が大いに期待されるまでになっていた。
そんな中で迎えたナイスネイチャにとって初の有馬記念は、勢いを買われて2番人気。内から抜け出したダイユウサク、メジロマックイーンには及ばなかったものの、4コーナー大外からよく脚を伸ばして3着と、4歳馬(旧表記)としては上々の結果を残して91年を終えたのだった。
しかし、この3着が長い苦難の道のはじまりだった。92年は休養を挟んで秋に復帰すると、毎日王冠、天皇賞、マイルCSは3、4、3着。続く有馬記念はメジロパーマーの大逃走を許し、直線でレガシーワールドとともに強襲を見せるも及ばず前年に続く3着。前年は「健闘」でも、古馬になってのこの結果は「敗退」という言葉がちらついてくる。
そして翌春は、日経新春杯2着、阪神大賞典3着、そして大阪杯2着とG2の3戦も勝てず終い。デビューからたった1年で重賞3勝を挙げた馬がいつしか「勝てない馬」へと変わっていた。
秋は毎日王冠で3着に敗れると、天皇賞は15着、ジャパンCでは7着に終わり、3度めの有馬記念は10番人気という低評価にとどまった。レースはトウカイテイオーの復活勝利にファンが酔いしれたのだが、2着ビワハヤヒデから3馬身半差の3着に密かに追い込んでいたのが、ナイスネイチャだった。
これで有馬記念3年連続3着。3連単どころかワイドすらない時代に、馬券では困った馬だったが、ここまで来ると「次も?」という期待も生まれてくる。翌94年夏には高松宮杯(当時2000m)で約2年半ぶりの勝利。有馬記念では3着を期待する声も大きかったが、優勝したナリタブライアンから離れた5着に終わってしまった。しかし、この秋は3戦すべて掲示板を外しており、なんと11番人気だったのだから健闘だろう。
翌95年の有馬記念で9着に敗れるなど、結局G1に手が届かずに終わってしまったナイスネイチャ。しかし、後にワイド導入時のポスターに登場するなど、「3着といえばナイスネイチャ」というキャラクターは、ファンの心にしっかりと刻まれていた。