ストーリー
「期待の良血馬」がその期待通りの結果を出せることはまれな競馬の世界。しかし「華麗なる一族」のハギノトップレディに天馬・トウショウボーイという配合から生まれたダイイチルビーは、見事その期待に応える活躍を見せた馬だった。
ダイイチルビーのデビューは4歳(旧表記)を迎えた90年。芝1600m新馬戦を5馬身差で逃げ切ると、続くアネモネ賞(当時500万条件)も連勝。その良血、そして2戦2勝の内容から桜花賞の有力候補にも数えられた。
しかし桜花賞は賞金不足で出走かなわず、同日の忘れな草賞に出走すると2着に敗退。さらに4歳牝馬特別(現フローラS)2着、オークスは5着、そして秋もローズSでは5着敗退。決して悪くはない成績ながら、その血統から多大なる期待が寄せられていたゆえに「期待外れ」という言葉もちらつきはじめた4歳後半だった。
翌91年はアネモネ賞以来となるマイル戦・洛陽Sからダイイチルビー始動する。結果は2着に終わったが、レース内容はひと筋の光が見えるものだった。出遅れて後方待機を「強いられた」が、これまでとはひと味違う末脚を見せての直線強襲。続く京都牝馬特別でも末脚を生かす競馬を試みると、鮮やかな差し切りで重賞タイトルを手中にした。
さらに、中山牝馬S3着を挟んで挑んだ京王杯スプリングCでは、好位から一気に抜け出し重賞2勝目。マイル前後でキレ味を生かす競馬なら……、そんな期待が高まる中でダイイチルビーは安田記念へ駒を進めていった。
この年の安田記念は前年のスプリンターズSを制したバンブーメモリーが1番人気。ダイイチルビーは2番人気だったが、直線半ばからそのバンブーメモリーを上回る末脚を繰り出すと、前で粘っていたダイタクヘリオスも一気に差し切って完勝。マイル路線に転じ、ついにG1で「期待通り」の結果を残したのだ。
その後、高松宮杯(当時G2・2000m)ではダイタクヘリオスの雪辱を許し2着、秋初戦のスワンSでは新鋭・ケイエスミラクルの2着、さらにマイルG1連覇を狙ったマイルCSではまたもダイタクヘリオスの2着に敗れたダイイチルビー。春の勢いをなくし、再び勝ち切れない競馬が続いていた。
しかし、直線に急坂の待つ中山・スプリンターズS(当時12月)で再びその末脚が炸裂する。1番人気で3連敗、そして初の1200m戦もやや不安視されここは2番人気の評価。中団を追走したダイイチルビーは、前半32秒2のハイペースに戸惑っているようにも見受けられた。ところが、直線に向くとエンジン全開。残り100mで先頭に立つと、そのまま後続を一気に4馬身も切り捨てたのだった。
この勝利で91年の最優秀スプリンター、最優秀5歳以上牝馬の座を手中にしたダイイチルビー。翌92年は3戦未勝利でターフを去ったが、「華麗なる一族」の系譜に新たな1ページを書き残す見事な活躍を見せた名牝だ。