ストーリー
勝利への切符という名を持つ馬、ウイニングチケットは、まさに日本ダービーを勝つにふさわしいサラブレッドだった。
父は凱旋門賞馬トニービン。大きな期待とともに種牡馬として日本に迎え入れられ、ウイニングチケットら1990年生まれの世代が初年度産駒にあたる。母パワフルレデイは不出走に終わったが、祖母スターロッチはオークスと有馬記念を勝った名牝。その子孫にはサクラユタカオーやサクラスターオー、ハードバージといったGIウィナーがいる。
一流の血統を持つウイニングチケットは、栗東の名門・伊藤雄二厩舎へ。デビュー初戦こそ不向きな短距離戦とあってか5着に終わったものの、2戦目で順当に勝ち上がり、3戦目・葉牡丹賞では2着を4馬身も突き放して素質の高さをアピール。さらにホープフルSも圧勝、弥生賞ではナリタタイシンをねじ伏せて勝利し、関東、いや世代ナンバー1に数えられるようになったのだった。
ウイニングチケットを語るうえで欠かせないのが、主戦を務めた柴田政人騎手の存在だ。デビュー戦にまたがり、2戦目、3戦目は後輩騎手たちに手綱を譲ったものの、ホープフルSからは再びウイニングチケットの鞍上に復帰していた。
このとき柴田騎手は、デビュー27年目。勝ち星は1700を数え、皐月賞、菊花賞、天皇賞など数々の大レースも制している。
が、どうしても手の届かないタイトルがあった。日本ダービーだ。
過去18回挑み、未勝利。クラシックを前に愛馬から下ろされたり、あるいは有力馬が故障に見舞われたりといった不運もあって、まるでダービーから見放されたような騎手生活を送ってきたのだ。
年齢を考えれば、残されたチャンスはそう多くない。柴田騎手にとってウイニングチケットとの出会いは、最後の、そして大いなる僥倖といえただろう。
皐月賞では1番人気に推されながら4着に終わったが、ファンはウイニングチケットの素質と柴田騎手の悲願を深く理解し、第60回日本ダービーでもこのコンビを1番人気に押し上げた。そしてウイニングチケットと柴田政人は、このレースで最高に輝いた。
直線、まず抜け出したのはウイニングチケットだ。「ダービーを勝てたら騎手を辞めてもいい。それくらいの決意で乗らなければいけないレースだ」という強い意志とともに、柴田政人は鬼の形相でウイニングチケットを駆る。これを猛然と追うのはビワハヤヒデ、鞍上は柴田騎手と同期の岡部幸雄騎手である。ビワハヤヒデに食い下がられたウイニングチケットだったが、自慢の末脚を最大限にまで振り絞り、最後はウイニングチケットが半馬身だけ先着してゴールへと飛び込んだ。
勝利への切符が、日本ダービー優勝という目的地に到着したのである。