ストーリー
メジロラモーヌが桜花賞、オークス、エリザベス女王杯(当時は3歳牝馬限定戦)を制し、史上初の牝馬三冠を達成したのは1986年のこと。翌1987年、競馬ファンは「2年連続の偉業なるか?」に心を奪われることとなる。
ファンの視線の先にいたのは“究極の美”という荘厳な名を授けられた馬。マックスビューティである。
名前通りの美しい馬体がマックスビューティの特徴だった。ビロードのような輝きに満ちた鹿毛。480kg前後の馬体は豊かな骨と筋肉、そして高い心配能力をしっかり内包していることを感じさせた。
夏の函館で2着を4馬身離して逃げ切った新馬戦、不良馬場に苦しんで4着に敗れた函館3歳S、2着に甘んじたラジオたんぱ杯3歳牝馬Sと、ここまでは持てる素質を十分に発揮しているとは言い難かったが、年が明けると同時に、マックスビューティの快進撃がスタートする。
まずは紅梅賞を力強く差し切り、続くバイオレットSは持ったままで後続を5馬身突き放す圧勝。単勝オッズ1.1倍の断然人気に推されたチューリップ賞も追われることなくアッサリ制すると、勇躍マックスビューティは桜花賞へと臨んだ。
トライアルの勝ち馬コーセイと人気を分け合う形だったが、これをマックスビューティはまるで問題にしなかった。好位から抜け出し、コーセイに8馬身もの差をつけての優勝。圧巻の第一冠制覇である。
その後、サンケイスポーツ賞4歳牝馬特別に出走したマックスビューティは、これも難なく制し、年明けから5連勝で第48回優駿牝馬(オークス)へと向かう。ここもやはり快勝だった。重馬場を利して逃げ込みを図るクリロータリーを、大外から力任せに差し切るマックスビューティ。タレンティドガールやコーセイも追い込んで混戦となった2着争いを、2馬身半後ろに従えての二冠達成である。
このままマックスビューティは、どこまでも突き進んでいくかと思われた。
秋初戦には神戸新聞杯を選び、ニホンピロマーチ、ゴールドシチー、チョウカイデュールといった日本ダービーの3、4、5着馬を一蹴。さらにローズSでは、4コーナーで早くも先頭に並びかける強引なレースを見せ、追い込むハッピーサンライズを完封する勝利。もはや誰も三冠達成に疑いを抱かなくなる域へとマックスビューティは到達していた。
だが、競馬に絶対などあり得ない。
単勝オッズ1.2倍を背負って第12回エリザベス女王杯に挑んだマックスビューティは、2着に敗れる。「あの馬に勝てなければ惨敗でもいい」という乾坤一擲のレースを見せたタレンティドガールに逆転を許してしまったのだ。
こうしてマックスビューティは、限りなく三冠に近づいた美しき敗者として記憶されることになったのである。