ストーリー
2006年6月17日の函館。この年最初の2歳新馬戦で、ローレルゲレイロはデビュー勝利を飾った。1000mを逃げて2着に3馬身半差をつける快勝だ。当然のようにそのスピード能力は注目を浴びることとなったが、以後は「惜しい」レースを繰り返す。
ラベンダー賞3着、函館2歳S2着、デイリー杯2歳Sも2着、朝日杯フューチュリティSでもドリームジャーニーに屈しての2着と悔し涙を飲んだ。
年が明けても惜敗は続き、シンザン記念3着、アーリントンCが2着、皐月賞はヴィクトリーからコンマ3秒差の6着で、1番人気に推されたNHKマイルCではピンクカメオの大駆けに遭っての2着。
崩れることはない。しかし勝ち切れない。差される。あるいは前を捉えられない。そのストレスからかスランプに陥り、日本ダービー以降は2ケタ着順の連続。失意の中で3歳シーズンを終えたのだった。
4歳シーズンは東京新聞杯と阪急杯を連勝、復活の気配を漂わせたローレルゲレイロだったが、肝心の勝負では相変わらず。逃げた高松宮記念はファイングレインの4着、好位からよく粘ったマイルCSがブルーメンブラットの5着。敢然と挑んだ香港スプリントも8着と結果を残せなかった。速さは認められ、短距離重賞では常に上位人気の支持を集めるものの、大きな勲章を手に入れられない日々。
思えば父キングヘイローも似たような足跡を残した馬だった。早くから大器と騒がれ、スペシャルウィーク、セイウンスカイと並ぶ3強に数えられながらクラシックは無冠。4歳初めに東京新聞杯と中山記念を連勝したものの、GIではマイルCS2着、スプリンターズS3着と敗れ、ようやくの勲章獲得は5歳時の高松宮記念だった。
そしてローレルゲレイロもまた、5歳となった2009年シーズン、突如の素質開花で父に並ぶことになる。
阪急杯2着からのステップで第39回高松宮記念に臨んだローレルゲレイロは、最大の武器であるスピードを遺憾なく発揮して逃げた。前年のスプリンターズS勝ち馬スリープレスナイトが好位から迫るも、これを半馬身退けての先頭ゴール。このレースの父子制覇を成し遂げてみせる。
これだけにとどまらなかった。安田記念15着、セントウルS14着と大敗し、評価を落とした第43回スプリンターズSで、ふたたびローレルゲレイロの快速が弾ける。
押して逃げ、テンの3ハロン32秒9というラップで飛ばし、直線でも粘りに粘って、1分7秒5の好タイムでゴール。最後はビービーガルダンに並ばれて長い写真判定にもつれ込んだが、見事1着、スプリントGI春秋連覇を達成したのである。
この年のJRA賞最優秀短距離馬にも選出されたローレルゲレイロ。父の足跡をなぞり、父に並び、父を越えたスプリンターである。