ストーリー
日本とは季節が逆になる南半球。その季節差を利用し、シャトル種牡馬として日本から南半球に渡る馬もいる一方で、南半球産馬にとって日本の競馬は、生月で3〜6ヶ月のハンデを背負うことになる。そんなシャトル種牡馬・フジキセキ産駒のオーストラリア産馬として活躍したのがキンシャサノキセキだ。
キンシャサノキセキは9月生まれながらデビューは比較的早く、05年の12月。その新馬戦を快勝すると、年明けのジュニアCも後方から差し切り勝ち。南半球産馬にはこの時期、斤量2キロ減の恩恵があるとはいえ、秋生まれのハンデをまったく感じさせないスタートを切った。
しかしその後、重賞では好走すれど勝ち負けには絡めないという結果ばかり。5戦目のNHKマイルCでは3着、さらに秋には古馬相手のマイルCSで5着という健闘はあったものの、ジュニアC優勝後は1600万条件の1勝のみ。翌07年もオープン2勝を挙げるにとどまり、結局4歳時も重賞は勝てなかった。
08年、5歳を迎え秋生まれのハンデも関係なくなっていたキンシャサノキセキ。しかし年明けの重賞でも10、5着に終わり、逆に早熟だった可能性すら語る向きも見られた。
そんなキンシャサノキセキが変わり身を見せたのは、スプリントG1・高松宮記念だった。2勝め以降は1400〜1600mで挙げていたが、折り合いに不安のあった馬で、この距離でも抑えるのに苦労するほどの行きっぷり。残り100mで先頭に立ち、ゴール前はファイングレインに差され2着に惜敗したが、短距離適性を十分に見せつける結果だった。
この好走でスプリント路線中心にシフトしたキンシャサノキセキは、続く函館スプリントSで3〜4番手追走から抜け出し、重賞初制覇。秋のスプリンターズSでは差し脚届かず2着も、春秋スプリントG1で連続2着と、その存在感をアピールした。
ところが、G1制覇を期待された09年は、オーシャンSで10着に敗れると、高松宮記念も10着、そして秋のスプリンターズSも12着と大敗。再びスランプに陥ってしまったのだ。
しかし、キンシャサノキセキは復活を果たす。続くスワンSで復活の勝利を挙げると、阪神Cは大きな出遅れを喫しながら豪快な差し切り勝ち。さらに、前年大敗を喫したオーシャンSも制し、重賞3連勝でG1・高松宮記念へと向かった。
前々年にクビ差2着惜敗を喫していたこのレース。中団を追走したキンシャサノキセキは残り100mで先頭に立ったが、外からビービーガルダンが迫り、またも2着かと思われた。しかし、充実度が違うこの年はここからもうひと伸び。ついに念願のG1タイトルを手中にしたのだった。さらに、秋のスプリンターズSは、繰り上がりで日本馬最先着となる2着。10年の最優秀短距離馬に選出された。
そして、翌11年も現役を続行。59キロのオーシャンS2着を叩いて、阪神開催の高松宮記念に出走する。コースこそ違えど、過去2回の好走同様に残り200mを切って先頭へ。そして今度は後続も完璧に抑え込み、このレース史上初の連覇を達成した。
このレース後には海外遠征の話も持ち上がったが、翌日に電撃的に引退を発表。今度は種牡馬として、名馬輩出の期待をかけられることになった。