ストーリー
サトノクラウンは2012年に北海道・安平町のノーザンファームで誕生した父マルジュ、母ジョコンダ2(母の父ロッシーニ)の持込馬で、3歳上の全姉には英国で2歳G1勝ちのライトニングパールがいる世界的な良血。その血統背景からクラシックの筆頭候補であったものの3歳時は無冠に終わり、古馬になってからG1を2勝する。
2歳の10月末にデビュー戦を迎えたサトノクラウンは、好スタートを決めて直線では外からスムーズに抜け出すセンスあふれる走りを披露。1か月後には東京スポーツ杯2歳Sで重賞に初挑戦し、馬群の中から狭いスペースを割って出る勝負根性を発揮と、才能を見せつけるようにして2連勝した。
3か月余りの休養から明けた3歳は弥生賞で始動。自身を含め出走11頭中7頭が重賞勝ち馬というハイレベルなメンバーの中で、中団から1馬身半抜け出す完勝を収める。無敗のまま弥生賞を勝ったのは史上10頭目、そのうち7頭がクラシックホースとなり、当面のライバルたちも一蹴。皐月賞は当然のように1番人気の支持を集めた。
しかし、発馬で後手に回ると最終コーナーでは大きく外を回る形になり、6着で初黒星を喫する。ダービーでも後方からの追走となり、上がり最速で追い上げるも3着まで。クラシック制覇は幻に終わる。ダービー後は天皇賞(秋)へ直行すると17着に大敗して再び休養入りした。
立て直された4歳の復帰戦は重馬場の京都記念を3馬身差で圧勝し、復活の狼煙を上げたかに思われたが、その後はレース中に集中力を欠くなど気性の難しさが表面化。天皇賞(秋)では再び14着に大敗した。ところが、暮れの香港ヴァーズ遠征では最後まで闘志を見せ、先に抜け出した欧州の強豪ハイランドリールを撃破する金星。待望のG1初制覇を飾って勢いを取り戻した。
続く5歳初戦の京都記念を連覇すると、宝塚記念では大本命のキタサンブラックを負かしにいって押し切る着差以上の内容で2度目のG1勝ち。そして、4か月の休養から臨んだ鬼門の天皇賞(秋)は不良馬場を正攻法で乗り切り、キタサンブラックにクビ差及ばなかったものの2着と結果を出した。しかし、次戦のジャパンCからは再び不振に陥り、1年に渡って掲示板に載ることなく引退。種牡馬入りした。