ストーリー
人間の世界には「立場が人を作る」という言葉がある。少々力不足と思われていた人でも、重要な地位、役職に就くと相応の能力を発揮するほどに成長する、といった意味合いだ。競馬の世界で、まさにそんな言葉が当てはまるような活躍を見せたのが93年の年度代表馬・ビワハヤヒデだった。
ビワハヤヒデのデビューは92年、3歳(旧表記)秋の芝1600m新馬戦で、ここは後続に1.7秒の大差をつける圧勝。続くもみじS、デイリー杯3歳Sも制し、早くもこの世代の中心的な存在となった。
しかし、2歳王者の座を賭けた朝日杯3歳Sでは、直線入り口から激しい叩き合いを演じたエルウェーウィンにハナ差で競り負け、タイトルを逸してしまう。年が明けた共同通信杯4歳Sでも、マイネルリマークにアタマ差届かず2連敗。ややメンバーに恵まれた若葉Sこそ2馬身差で制したものの、G1で求められる勝負強さ、底力に不安を残した感は否めなかった。
迎えた皐月賞。好位で流れに乗ったビワハヤヒデは、直線でウイニングチケットを突き放し先頭に立ったが、ゴール前で外からナリタタイシンが強襲。クビ差の2着に涙を呑んだ。さらに日本ダービーでは、先に抜け出したウイニングチケットを一度は追い詰めながら、最後に力尽きて半馬身差の2着敗退。「3強」の中で唯一タイトルを手にすることなく、春シーズンを終えたのだった。
惜敗が続いたビワハヤヒデ陣営は、これまで装着していたメンコを外すという決断を下して秋を迎えた。その初戦、神戸新聞杯は余力を残したレース振りで完勝。さらに菊花賞では、手応え十分に4コーナーで先頭に立つと、2着ステージチャンプに5馬身もの差をつける大楽勝で初のG1タイトルを獲得。ついに本格化かと思われた。
ところが、年末の有馬記念ではトウカイテイオーの「奇跡の復活」の前にまたもや2着。この年の年度代表馬にこそ選出されたものの、ファンの間にはこの選出に異を唱える声が少なくなかったのも事実であった。
しかしビワハヤヒデは翌94年、そんなファンの声を一蹴するかのような「強さ」を見せる。年明け初戦の京都記念では、後続に7馬身差をつける圧勝。続く天皇賞(春)では、直線でナリタタイシンに1馬身ほどまで差を詰められたものの、ゴール前でこれを突き放す底力を見せG1・2勝目。さらに宝塚記念では、4コーナー先頭からアイルトンシンボリ以下に5馬身差をつける完勝劇と、その実力を余すところなく発揮し続けたのだ。
その後、オールカマーを制して駒を進めた秋の天皇賞では、レース中に故障を発生して(5着)そのまま引退。半弟の三冠馬・ナリタブライアンとの対決は実現せず、年度代表馬の座も弟に譲ることとなった。しかし、春に見せた走りはまさに古馬最強。なにかと「3強対決」の93年について語れることの多い馬だが、94年春の「年度代表馬らしい」強さこそ、ビワハヤヒデという馬を評するにふさわしいレースだったと言っても過言ではない。