ストーリー
馬券を買っていて最も楽しめるのは逃げ馬だ、というファンは非常に多い。スタートからゴールまで、ラップタイムや各馬の脚色などを見ながら一喜一憂。そんな楽しみを存分に教えてくれた1頭が、98年に二冠を制したセイウンスカイだ。
デビューは明けて4歳(旧表記)を迎えた98年1月の芝1600m戦。徳吉孝士騎手を背に6馬身差で圧勝すると、2戦目のジュニアC(当時2000m)も5馬身差で楽々と逃げ切り勝ち。デビューひと月で一気にクラシック候補の一角へと浮上した。
3戦目の弥生賞は、前年の東京スポーツ杯3歳Sを制していたキングヘイロー(1番人気)、きさらぎ賞勝ちのスペシャルウィーク(2番人気)と、早くも世代「3強」対決。先手を奪ったセイウンスカイが直線に向くと、後続を2馬身、3馬身と突き放す。しかし、最後の坂でスペシャルウィークの急襲を受け2着敗退。3強対決第一幕はスペシャルウィークに軍配が上がったのだった。
弥生賞の敗戦もあり、皐月賞からは横山典弘騎手がセイウンスカイの手綱を取ることになる。ここは道中は2番手追走。しかし折り合いはスムーズで、4コーナーで先頭に立つと後続を突き放し、最後はキングヘイローの盛り返しも封じて見事「一冠」を手中にした。
続くダービーは逃げたキングヘイローの2番手につけたが、スペシャルウィーク圧勝の前に4着敗退。休養を挟み、秋は京都大賞典から始動する。
この年の京都大賞典は、天皇賞(春)を制したメジロブライト、春のG1連続2着のステイゴールド、さらに前年の有馬記念馬・シルクジャスティスと強力な古馬勢が相手。4番人気のセイウンスカイは大逃げを打ったものの、3コーナー手前で後続との差がみるみる詰まり、さすがにこの相手では苦しかったか、と思われた。ところが、ここでの「ため」を生かして直線を11秒1−11秒5でまとめて鮮やかな逃げ切り。見るものすべての目を欺くほどの、脅威的な強さを発揮したのだ。
そして迎えた三冠最後の菊花賞。前半から11秒台のラップを連続で刻んだセイウンスカイは、大きなリードを取って2周目の向正面へ。いったんペースを落としたものの、それでも2番手に5〜6馬身、3番手以下には10馬身ほどの差をつけていた。すると今度は京都大賞典とは違い、坂の上りから徐々にペースを上げ、4コーナー手前で一気にスパート。スペシャルウィークやエモシオン、キングヘイローなども必死に追ったが差は詰まらず、レコードタイムでなんと38年ぶりの菊花賞逃げ切り勝ちを演じたのだった。
その後、有馬記念はデビュー以来初めて1番人気に推されたものの4着敗退。翌年の日経賞は2番手から、そして札幌記念では差す形で勝利を手にしたが、ファンが再び「セイウンスカイの逃げ切り」を見ることはできなかった。しかし、強豪相手に底知れぬ強さを見せた京都大賞典、そして「来るなら来い」と言わんばかりの圧倒的な走りの菊花賞。4歳秋の2戦は今でも「逃げ馬好き」にとって忘れられないレースとなっている。