ストーリー
北の湖に朝青龍。共通点は「強い横綱」であることと同時に、「憎まれ役」であること。他の力士のファンならば「なんでここで勝つんだ!」と、何度となく苦い思いでその取り組みを見せられたことだろう。
競馬の世界にも、やはり「憎まれ役」になってしまう馬が存在する。たとえば、昭和末期の憎まれ役といえばシンボリルドルフ。ひとつ年上の三冠馬、破天荒なレース振りでファンを沸かせたミスターシービーとは違い、そのレースを知っているかのような走りは憎まれ役にふさわしい。では、平成に入ってからの憎まれ役は、といえば、まず挙がってくるのはライスシャワーの名前だ。
ライスシャワーは91年、2歳夏(新表記)にデビューし、芙蓉Sを制覇。3歳になって16番人気の日本ダービーで2着に好走すると、秋もセントライト記念、京都新聞杯と連続2着。ここまでは「重賞は勝ってないけど力はあるよね」といった評価の1頭だった。
そんなライスシャワーが、最初に「憎まれ役」となったのは92年の菊花賞。ミホノブルボンが、シンボリルドルフ以来8年振り、そして史上2頭目の無敗の三冠をかけて出走した一戦だ。2番人気のライスシャワーはファンの悲鳴がわき起こる中、逃げ込みをはかるミホノブルボンをゴール前であっさりと交わし去り、見事に大金星を挙げたのだ。
そして翌93年。ライスシャワーは日経賞を制して天皇賞(春)に駒を進めた。ここに待ち受けていたのは、天皇賞(春)3連覇がかかるメジロマックイーンである。ファンの支持はメジロマックイーンに集まったが、ここでも先行したメジロマックイーンをマークしてレースを進めると、直線でこれを競り落として2馬身半差で完勝を収めたのである。
菊花賞に続き、狙った獲物(人気馬)を逃さずきっちり捕らえたライスシャワー。「刺客」という呼び名が定着するとともに、憎まれ役という立場も明確になった一戦だった。
この勝利で実力を証明したライスシャワーだったが、その後は不振や骨折による休養で勝ち鞍を挙げられず、93年秋から94年は未勝利。95年も1番人気に推された京都記念、日経賞で6着に終わり、もはやこれまでかと思われた。
しかし、2度目の天皇賞(春)でライスシャワーは復活する。向正面でスパートとすると、3コーナー手前で早くも先頭。最後はステージチャンプの急迫をハナ差抑えて、3つ目のタイトルを手にしたのだ。憎きライスシャワーから、奇跡の復活でファンの心を揺るがすライスシャワーへ。いつの間にかその立場も大きく変わっていた。
続く宝塚記念は、阪神・淡路大震災の影響で得意とする淀の舞台。ファンの期待も寄せられたが、3コーナー過ぎに転倒して競走中止。そのまま帰らぬ馬となってしまった。その後、京都競馬場には記念碑が建立され、今も天皇賞や菊花賞に出走する後輩たちを静かに見守っている。