サッカーボーイ 派手な馬体と勝ち方でファンを魅了

サッカーボーイ
Photo by Japan Racing Association
性別
出生年月日 1985年4月28日
毛色 栃栗毛
デイクタス
ダイナサツシユ
競走成績 11戦6勝
獲得賞金 2億1993万2400円
表彰歴 1988年 最優秀スプリンター
1987年 最優秀3歳牡馬
主な勝鞍 1988年 マイルチャンピオンシップ G1
1987年 阪神3歳ステークス G1
1998年 中日スポーツ賞4歳ステークス
1998年 函館記念
厩舎 小野幸治(栗東)
生産者/産地 社台ファーム (白老町)
馬主 勝負服 社台レースホース
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ストーリー

尾花栗毛の派手な馬体、そして勝てば圧勝というやはり派手なレースぶりで、多くのファンの注目を集めたのが、「テンポイントの再来」とも呼ばれたサッカーボーイだった。

サッカーボーイのデビューは87年夏。芝1200mの新馬戦はトウショウマリオに9馬身差をつける大楽勝。続く函館3歳Sは4着に敗れたものの、京都1600mのオープン特別・もみじ賞は好位から楽々と抜け出し、2着に10馬身差をつけて2勝目を挙げた。

4戦目は、当時牡牝混合で行われていた関西の3歳(旧表記)王者決定戦・阪神3歳S。道中5番手を追走したサッカーボーイは、3コーナーから抜群の手応えで前へと進出。4コーナーで2番手に上がると、直線は後続を離す一方の一人舞台。2着ダイタクロンシャンに8馬身差をつける圧勝でG1タイトルを難なく手中にするとともに、この勝利で最優秀3歳牡馬のタイトルも獲得した。

翌88年、クラシックを目指すサッカーボーイは弥生賞で始動する。しかしここは、前年の朝日杯3歳Sを制したサクラチヨノオーの逃げ切りを許し3着敗退。さらに、飛節炎を発症し皐月賞は回避。当時ダービートライアルとして行われていたNHK杯は4着、1番人気に推されたダービーも15着と、ファンの期待に応えられずに春のクラシックシーズンを終えることになってしまった。

陣営は巻き返しを期し、7月の中日スポーツ賞4歳S(G3・1800m)に出走する。道中後方を追走したサッカーボーイは、上がり33秒台の末脚を発揮。小回り中京では絶望的とも思える位置から、皐月賞馬・ヤエノムテキを豪快に差し切って復活ののろしを挙げた。

さらに函館記念では、シリウスシンボリ、メリーナイスのダービー馬2頭と対決。この強敵相手にも1番人気に推されたサッカーボーイは中団から徐々に進出すると、直線で強豪を一気に突き放し5馬身差。当時としては驚異的な1分57秒8の日本レコードで駆け抜けたのだった。

この勝利で、秋は天皇賞か菊花賞かと話題を集めたサッカーボーイだったが、ねんざのため両レースとも回避。マイルCSへと駒を進めることとなった。ここは休養明けで18キロ増の馬体を不安視されたものの、中団から徐々に差を詰める「勝ちパターン」。直線で末脚を爆発させると、2着ホクトヘリオスに4馬身の差をつけG1・2勝目を挙げたのだ。

続く有馬記念は同期・オグリキャップとの初対決となったが、ゲートで暴れ顔をぶつけるアクシデントがあり4位(スーパークリークの失格により3着)敗退。翌89年はマイラーズCや毎日王冠出走も予定されたが、ともに骨折のため再びターフに姿を現すことなく現役を引退することになってしまった。

しかし、種牡馬としてはナリタトップロード(菊花賞)、ヒシミラクル(天皇賞・春など)といった自身とは違うステイヤータイプの個性派を輩出して成功。09年には孫のマイネルキッツが天皇賞(春)を制するなど、その血は着実に広がりを見せている。

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