ストーリー
ニシノデイジーが2024年の中山大障害で2年ぶりの優勝を成し遂げた翌日、西山茂行オーナーは自身のブログでニシノデイジーの引退と種牡馬入りを発表した。「西山牧場が産んだ最高傑作のセイウンスカイの血を繋げるのはこの馬しかいません」「西山牧場を救った桜花賞馬ニシノフラワーのクロスを作れる馬はこの馬しかいません」。引退の理由にはオーナーブリーダーならではの血統に対する強い思いが表現されていた。
ニシノデイジーは2016年4月、北海道浦河町の谷川牧場で生まれたハービンジャー産駒だが、母ニシノヒナギクから遡る母系は西山牧場が繋いできた。祖母ニシノミライの父は1998年の二冠馬セイウンスカイ、母は1992年に桜花賞とスプリンターズSを制したニシノフラワーで、西山オーナーが最高傑作と救世主に挙げたかけがえのない存在。ニシノデイジーは両馬の血を残す夢が託されることになった。
ニシノデイジーのキャリアは前途洋々を思わせる滑り出しだった。2歳夏にデビュー2戦目で勝ち上がると、それから札幌2歳S、東京スポーツ杯2歳Sと出世レースとして名高い重賞を連勝。続くホープフルSも3着にまとめてクラシック戦線の有力候補となる。しかし明け3歳から勢いを失い、1番人気に推された初戦の弥生賞を4着と取りこぼすと、皐月賞は見せ場を作れず17着に大敗。ダービーでは5着と持ち直すも、菊花賞は9着に完敗して無冠に終わる。さらに、4歳途中から6歳初戦まで2桁着順が続くなど白星から遠ざかるばかりとなった。
そこで、障害転向が図られたニシノデイジーは2戦目で東京スポーツ杯2歳S 以来となる3年7か月ぶりの勝利を手にする。続くオープンは伏兵の大駆けにあって惜敗するも、次戦で臆することなく中山大障害に挑戦。すると、これが引退レースのオジュウチョウサン(6着)らを退けてG1初制覇。障害と平地の双方で重賞勝ちの快挙を成し遂げる。ただ、JRA賞最優秀障害馬は春の中山グランドジャンプで通算6勝目としたオジュウチョウサンが受賞し、わずか1票差で手にすることができなかった。
その後、7歳になると1歳下のイロゴトシ、2歳下のマイネルグロンが台頭してニシノデイジーの前に立ちはだかり、中山グランドジャンプは大きく出遅れてイロゴトシの9着、連覇を狙った中山大障害は2着ながらマイネルグロンに10馬身差の完敗、8歳の中山グランドジャンプもイロゴトシに5馬身余りの差をつけられて3着と苦戦が続く。それから半年を空けた東京ハイジャンプ後には左前肢に脚部不安の兆候が表れたため引退も検討される事態となった。幸い、その不安はすぐに解消されて中山大障害の出走に踏み切ると、マイネルグロンらが競走中止する波乱を乗り越えて2年ぶりの勝利。1票差に泣いたJRA賞最優秀障害馬のタイトルも今度は手に入れ、西山牧場の夢とロマンに誘われて北の大地へ旅立った。