ストーリー
障害レースの世界でJRA史上最高の成功を収めたオジュウチョウサン。障害戦のみの戦績は通算32戦18勝。これは障害馬として唯一、顕彰馬となっているグランドマーチス(39戦19勝)に勝るとも劣らず、G1レース9勝は平地のアーモンドアイと並ぶなど、前人未到かつ更新不可能とも思えるような大記録を数多く樹立した。
オジュウチョウサンの障害重賞15勝は史上最多というだけでなく、その過程で障害重賞13連勝、障害と平地で11連勝というJRA記録も打ち立てた。中山グランドジャンプにおいては同一重賞として最多の5連覇と通算6勝、史上最高齢となる11歳での勝利も挙げるなど長年にわたって障害戦線を支配し続けた。JRA賞最優秀障害馬5回はその証だ。
2歳時に平地を2戦して全く振るわなかったオジュウチョウサンは、1年の休養を挟む間に未勝利戦も無くなり、3歳秋から障害に転向した。初戦で最下位に大敗するなど当初は苦闘していたが、転厩がきっかけとなって4戦目の初勝利から2連勝する。そして、ようやく回りはじめた大きな歯車は、石神深一騎手との出会いを通じて勢いを増していった。
コンビ結成から4戦目、G1初挑戦の中山大障害で6着に敗れると、激しい気性を抑制するために着用していたメンコから、耳の覆いを取るよう石神騎手が提案。それが奏功してオジュウチョウサンの気力がレースに向かうようになり、2戦後の中山GJでついにG1制覇を果たす。障害転向から1年5か月、5歳の春につかんだ初の重賞タイトルでもあった。
それからの勢いは凄まじく、中山GJの3連覇と中山大障害の2連覇をはじめ、障害で2年間土つかずの重賞9連勝。6歳の中山大障害では大逃げを打ったアップトゥデイトをゴール寸前で差し切り、障害史に残る死闘の末にレコード勝ちするなど、右第一指骨剥離骨折による休養も挟みながら無敵の地位を築いていった。
7歳の夏には2戦未勝利の平地レースにも進出し、武豊騎手を背に500万下と1000万下(現1勝クラスと2勝クラス)を連勝。暮れには中山大障害ではなく有馬記念への挑戦を表明し、ファン投票3位での出走を果たす。9着に敗れて障害戦から続く連勝も11で止まったが、果敢に先行して最後の坂下では先頭をうかがう大きな見せ場を作り、障害王の名に恥じない堂々たる戦いぶりを披露した。
その後、障害戦に戻って中山GJの4連覇を果たし、夏から再び平地に挑むも3連敗。9歳からは障害戦に専念して中山GJの5連覇を達成したが、秋初戦の京都ジャンプSでまさかの3着に敗れ、障害戦での連勝が13で止まってしまう。さらには左前脚に脚部不安を発症して暮れの中山大障害を回避すると、ぶっつけ本番となった明け10歳の中山GJでも6連覇ならず。今度は左前第一指骨を剥離骨折するなど成績は下降線をたどった。
それでも、暮れの中山大障害で3度目の優勝を飾ったオジュウチョウサンは、明けて11歳の中山GJで前年の借りを返す6勝目。限界説を跳ね返すように王座奪還を果たしたが、秋の東京ハイジャンプでは精彩を欠き、次戦の中山大障害で引退を迎えた。オジュウチョウサンはレース後に盛大な引退式で送り出され、その年のJRA賞最優秀障害馬にも選出。わずか1票差での受賞だった。