ストーリー
日本馬が多く参戦する海外のレースといえば、香港やシンガポールの国際競走のほか、ドバイ・ワールドカップ・デーなど。各レースで結果も残し、11年にはついにヴィクトワールピサがドバイWCを制した。しかし、未だ手が届かないのは欧州の最高峰・凱旋門賞。そこにあと一歩のところまで迫ったのがナカヤマフェスタだった。
ナカヤマフェスタのデビューは08年秋。新馬戦を好位から差し切り、続く東京スポーツ杯2歳Sは9番人気ながら、直線坂上の叩き合いを制して2連勝を飾った。しかし、年明けの京成杯で僅差2着に敗れると、前哨戦に出走せず挑んだ皐月賞では8着。日本ダービーは不良馬場の中、後方からよく脚を伸ばしたものの、完勝を収めたロジユニヴァースからは差のある4着に敗退した。秋はセントライト記念で勝利こそ飾ったが、菊花賞は12着に敗れてクラシックは馬券圏内に届かず終了。さらにG3の中日新聞杯でも13着に敗れ、デビュー当初の成績から期待されたほどの結果は残せない3歳時だった。
しかし、ナカヤマフェスタは4歳を迎えて飛躍を遂げる。約4ヶ月の休養を挟み、迎えた初戦はメトロポリタンS。重賞2勝が同世代戦だったとはいえ、オープン特別でハンデ56キロはやや恵まれ、先行勢総崩れの中、この馬だけが好位から抜け出し完勝を収めたのだった。
この勢いに乗って挑んだ宝塚記念。上位人気はヴィクトリアMを制したブエナビスタ、春の天皇賞馬ジャガーメイル、連勝中のアーネストリー、そして前年の覇者ドリームジャーニー。前走とは一転、このメンバーに入っては実績不足のナカヤマフェスタは8番人気の低評価にとどまった。しかし、ナカヤマフェスタは中団から末脚を伸ばし、内で長い叩き合いを演じるブエナビスタ、アーネストリーを、外からいともあっさり差し切って優勝。多くのファンを大いに驚かすG1初制覇だった。
そして、ファンをさらに驚かせたのは、凱旋門賞挑戦プランの発表だった。二ノ宮敬宇調教師、蛯名正義騎手にとっては99年、エルコンドルパサーで惜しくも2着に敗れた雪辱戦だ。
前哨戦のフォワ賞は、逃げたダンカンを捕らえきれなかったものの、3番手から脚を伸ばして2着と上々の滑り出し。そして迎えた凱旋門賞。ナカヤマフェスタは中団から直線で力強い末脚を繰り出し、残り300mで一気に先頭。しかし、内から英ダービー馬・ワークフォースも脚を伸ばし、ここからは2頭の一騎打ち。残り100mで突き放されかけながら、もう一度差し返す根性を見せたもののわずかに及ばず、エルコンドルパサー同様の惜しい2着。しかし、宝塚記念前の成績を考えれば、大健闘の2着でもあった。
その後、帰国初戦のジャパンCは14着。翌11年の再挑戦はフォワ賞4着、凱旋門賞11着に終わり引退・種牡馬入り。前年の覇者・ワークフォースも凱旋門賞で12着に敗れた後、日本に輸入されることが発表され、今度は種牡馬として日本のターフを舞台に激突することになった。