ストーリー
父はフジキセキ、母の父はトニービン、近親にはサッカーボーイ、ステイゴールド、バランスオブゲームといった活躍馬のいるドリームパスポート。なかなかの血統の持ち主といえただろう。
だがデビュー当時の評判はそれほど高いわけではなく、実際、初勝利までに3戦を要している。また生涯全22戦で10人の騎手が騎乗、レースのたびに乗り替わりがおこなわれたように、特定のジョッキーが惚れ込むようなタイプでもなかった。
それでもデビューから14戦連続で掲示板を確保と、成績の安定度は抜群。重賞2勝をあげ、GIで何度も好勝負を繰り広げた。あのメイショウサムソンと通算14回対戦し、うち8回は先着と勝ち越している。レースでうかがわせた高い素質は、確かなものだった。
その足取りを振り返り、能力も考え合わせれば、もっと大きなタイトルを、いくつも手にすることができたはずなのだが……。
ライバルたちにもまれながら競走馬は強くなっていくとするなら、ドリームパスポートは少々、いや、かなり、ライバルに恵まれすぎたといえそうだ。
新馬戦では後の2歳女王テイエムプリキュア相手に3着と屈し、2戦目でぶつかったのは、ここから4連勝で2歳王者に輝くフサイチリシャール。皐月賞では最内を突いて鋭く伸びたが、メイショウサムソンに半馬身及ばなかった。日本ダービーでもメンバー中最速の末脚を繰り出しながら、メイショウサムソンの二冠を許し、逃げたアドマイヤメインにも届かずの3着に終わる。
菊花賞では力強く抜け出して念願のGIタイトルを手中にしたかと思われた瞬間、ソングオブウインドのレコード駆けに敗れた。ジャパンCではディープインパクトの2着。
その後もドリームパスポートは、アドマイヤムーンやダイワスカーレットといった名馬たちに行く手を阻まれ続けたのであった。
もちろん、晴れて重賞タイトルを手にした2戦についても触れなければなるまい。
3歳初戦のきさらぎ賞は、豪快な一戦だった。道中は最後方に近い位置で待機し、4コーナーから怒涛のスパート。メイショウサムソン、マイネルスケルツィ、グロリアスウィーク、アドマイヤメインら先行して叩き合う馬たちを一気に交わしてゴールしてみせた。
神戸新聞杯も力強いレースだった。メイショウサムソン、ソングオブウインド、フサイチリシャールらの叩き合いを、やはり鋭く差し切っての勝利である。
そうした強さを見せながらも、4歳春に骨折を負ったこともあって、結局ドリームパスポートはGI未勝利のまま現役を終える。ただ、恵まれすぎたライバル関係を“不運”と呼ぶべきではないだろう。名馬たちとの名勝負をいくつも演じたことで、ドリームパスポートはファンの記憶に残る1頭になったのだから。