ストーリー
「中〜長距離のG1では牝馬は牡馬に勝てない」。1990年代まではこれが常識のように考えられており、グレード制導入後のG1勝ち馬ではエアグルーヴ(97年天皇賞・秋)の名前が見られるくらいだった。しかし、2000年代半ばから牡馬相手に大レースを勝つ牝馬が続出。その先鞭をつける形になったのが、05年の宝塚記念を勝ったスイープトウショウ、そして今回紹介するヘヴンリーロマンスの2頭だった。
ヘヴンリーロマンスは02年の11月にデビュー。翌03年1月にダート戦で初勝利を挙げると、以降は芝に転じて夏の函館で500万、そして秋2戦目の京都では1000万条件と勝ち鞍を重ねていった。しかし、秋初戦のローズSは6着、そして1000万勝ち後のエリザベス女王杯では10着といずれも同期のアドマイヤグルーヴの前に完敗。翌04年春にオープン入りを果たしたものの、重賞では10、5、7着と牝馬同士でも苦戦を強いられ続けていた。
そんなヘヴンリーロマンスの重賞初制覇は4歳の暮れだった。自己条件3戦目の1600万を勝ち上がって再びオープン入りを果たすと、混戦模様の中で3番人気に推された阪神牝馬S(当時芝1600m)で内から鋭く抜け出し、この年のオークス馬ダイワエルシエーロなどを下したのだ。ただ、次走の京都牝馬Sで6着に敗退すると、続く3戦はいずれも2ケタ着順。重賞勝ちもフロック視されるような不振に陥ってしまった。
しかし、夏を迎えてヘヴンリーロマンスは一気に復調を見せる。休養明けのクイーンSでは10番人気まで評価を下げていたが、先に動いたレクレドールにゴール前でハナ差まで迫る末脚を繰り出し2着。さらに、連闘で出走した札幌記念では馬群を割って力強く脚を伸ばし、菊花賞2着などの実績馬ファストタテヤマを抑えて2つ目の重賞タイトルを獲得。この勝利で陣営は次の目標を牝馬限定のエリザベス女王杯ではなく、106年ぶりに天覧競馬として行われる第132回天皇賞・秋に定めたのだった。
この年の天皇賞はゼンノロブロイやハーツクライといった牡馬の実績馬に加え、前年2・3着のダンスインザムード・アドマイヤグルーヴ、同年の宝塚記念を制したスイープトウショウといった名牝も顔を揃える一戦となった。そんな中、14番人気のヘヴンリーロマンスは最内枠を生かす好ダッシュから、前にゼンノロブロイを見る中団8番手あたりを追走。そのまま直線は迷いなく内を突くと、先に抜け出したダンスインザムードを交わすと同時に、併せ馬の形になったゼンノロブロイまでも競り落とし、真っ先にゴールを駆け抜けたのだ。この後、スタンド前に引き上げてきたヘヴンリーロマンスの馬上から、松永幹夫騎手が貴賓席に向かい最敬礼を行ったシーンは、日本競馬史に残る名場面として多くのファンの心に刻まれている。
その後、ヘヴンリーロマンスはジャパンC7着、有馬記念6着の成績を残して繁殖入り。10年からはアメリカで繁殖生活を送っている。牝馬の時代を切り開いたこの馬の血を引く、新たな名牝の誕生も期待されるところだ。