ストーリー
サラブレッドの世界でヒーローやヒロインとなるためには、GI勝ち鞍が必要とは限らない。たとえビッグタイトルを獲得できなくとも、比類なき個性で多くのファンを魅了し、競馬史に名を残す馬もいる。
1988年にツインターボは生まれた。父はライラリッジ。現役時代、アメリカのダート下級戦を2勝しただけの存在だ。この1988年生まれの世代が初産駒で、シンボリルドルフやサクラユタカオーといった同期の新種牡馬に比べれば注目度はゼロに等しかった。いっぽう母はレーシングジィーン。こちらも11戦して1勝だけに終わった牝馬である。
目立たない血統に加え成長も遅く、期待を集めることなく育ったツインターボは、明け3歳(現表記)の1991年3月にようやく初出走を迎えた。
が、いきなり頭角を現す。中山ダート1800m戦で3馬身差のデビュー勝ちを果たし、続く500万下・もくれん賞でも1馬身半差で鮮やかに逃げ切ってみせたのである。
その後の2戦、青葉賞は9着、駒草賞は5着に敗れるが、ラジオたんぱ賞を逃げ切って重賞初制覇を遂げたツインターボ。さらにセントライト記念2着、福島記念でも2着と好走を続けた。
この年のヒーローといえば、3歳では皐月賞と日本ダービーの二冠を無敗で達成したトウカイテイオー、古馬ではメジロマックイーンだったが、ツインターボもひっそりと、だがしっかりと「中距離で逃げさせればしぶとい馬」との評価を勝ち取っていったのである。
単にしぶといだけでなく、そのレースぶりがツインターボの評判を上げたといえるだろう。向こう正面で後続を5馬身、6馬身とちぎっていく鮮やかな逃げっぷり。絵に描いたような“大逃げ”が、この馬のトレードマークだった。地味な血統の目立たない馬が一心不乱に逃げ、粘れるか、それとも捕まるか。そんなスリルをツインターボは競馬ファンに与えたのだった。
ツインターボにとってのキャリアのクライマックスは、1993年、5歳夏〜秋にかけてのこと。まずは七夕賞。スタートから2ハロン目が10秒6、3ハロン目が10秒9というスプリント戦並みのラップで飛ばしたツインターボは、そのまま2着に4馬身差をつけて逃げ切り勝ちを収める。続くオールカマーでもハイペースの大逃げを打ち、ライスシャワーやシスタートウショウといったGI馬を相手に5馬身差の完勝を飾ったのだ。
結局、重賞勝ちはGIIIが3つだけという成績に終わったが、ツインターボは負けたレースでも輝きを放った。1991年の有馬記念では隊列をハイペースで引っ張ってダイユウサク勝利の波乱を演出した。ヤマニンゼファーが勝った1993年の天皇賞(秋)でもハナを切り、1994年の有馬記念ではナリタブライアンの露払いを務めた。
迷いのない逃げで大レースを盛り上げた馬として、ツインターボは競馬史にその名を刻んだのである。