ストーリー
デビュー前の評判はさほど高くなかったカツラギエース。父はムーランドロンシャン賞2着のボイズィボーイ、母は1勝馬のタニノベンチャと地味な血統で、調教での動きにも目立ったところはなかった。デビュー戦は14頭立て6番人気で迎えている。
が、この初戦を8馬身差の快勝で制し、周囲の期待を集めるようになる。実際、2戦目は2着、3戦目で2勝目、3歳(現表記)春の春蘭賞を勝つなど通算6戦3勝の成績で皐月賞へと駒を進めた。十分な出世ぶりといえただろう。
この後の3歳シーズンで、カツラギエースはたびたび素質の高さを示しながらも本番での弱さを露呈するようになる。
皐月賞は11着。NHK杯で重賞初制覇を果たしたものの、3番人気で臨んだ日本ダービーでは6着。秋には京都新聞杯を6馬身差で圧勝するが、菊花賞では2番人気20着。ミスターシービーが三冠を達成する陰で、その引き立て役に甘んじ続けたのである。
4歳になったカツラギエースは、休養中のミスターシービーに替わって主役級の活躍を見せるようになる。サンケイ大阪杯を2馬身半差で勝利し、京阪杯も勝って重賞連覇。宝塚記念では、モンテファストやミサキネバアー、ホリスキーといった天皇賞・春の上位勢を完封、GI初制覇も成し遂げた。秋には、ようやくターフに戻ってきたミスターシービーを振り切って毎日王冠を勝利。すっかり中距離路線の第一人者へと成長した姿を観る者に印象づけた。
しかし、天皇賞・秋ではミスターシービーの末脚に屈して5着。さらに、この年の菊花賞ではシンボリルドルフが勝利し、競馬界は2年連続の三冠馬誕生に沸くこととなる。
やはり4歳世代の中心はシービーだ。無敗の三冠馬ルドルフの素質も素晴らしい。いったいどちらが強いのだろう。ファンの熱気が高まる中で、カツラギエースはふたたび脇役の座へと追いやられたのだった。
1984年・第4回ジャパンCで、ミスターシービーとシンボリルドルフの“三冠馬対決”が実現する。この2頭はまた、ジャパンCでの日本馬初優勝という期待もかけられていた。ところがレースは意外な決着を見る。
スタートからゆったりと逃げたのはカツラギエース。スローペースだったが、向こう正面では後続を大きく引き離してしまう。シンボリルドルフは中団、ミスターシービーは最後方、海外の有力馬もこの2頭を意識してか積極的に動かず、図らずもカツラギエースは楽々と単騎逃げを打つことになったのだ。
直線、逃げ粘るカツラギエースをイギリス馬ベッドタイムが追う。シンボリルドルフとアメリカのマジェスティーズプリンスも伸びてくる。が、カツラギエースは二の脚を繰り出して、そのままゴールへ。
主役の座を奪い返す逃走劇。こうしてカツラギエースは日本と世界の猛者を完封し、競馬史に大きくその名を刻んだのであった。