ストーリー
2015年に北海道・千歳市の社台ファームで父スウェプトオーヴァーボード、母オメガフレグランス(母の父ゴールドアリュール)から生まれたオメガパフューム。現役時代はダート戦のみの通算26戦11勝、2着7回、3着4回で計22回入着と、追い込み脚質ながら堅実無比に活躍し続けた。
オメガパフュームは大井競馬場との相性が抜群で、通算10戦5勝、2着3回、3着1回の入着率9割。東京大賞典では交流重賞において史上初、中央競馬の平地競走にも前例のない同一重賞4連覇の偉業を成し遂げた。
その馬体は筋骨隆々でパワフルに見えるダート馬然とした物ではなく、むしろ小柄な部類だった。3歳1月のデビュー戦では体重が462kgだったが、現役中はほとんどのレースでそれを下回り、超えたのは1戦だけ。現役最後のレースにはデビュー戦と同じ体重で臨んだほど完成度が高かった。
自身も調教で跨っていた安田翔伍調教師は、オメガパフュームの最大の特長として、レースに向けて自ら集中力を高め、能力を発揮できるような精神状態に調整していく頭の良さを挙げている。また、約5年の現役生活で大きな休養がなく、予定通りにレースを使えた肉体面の強さを評価。「地面を捉えるテクニック」に優れ、その特性が決して大きくない馬体でも大井競馬場のタフな馬場をこなす原動力になったと分析している。
大井競馬場で無類の勝負強さを誇ったオメガパフュームだが、中央競馬の重賞は初制覇のシリウスSなど3勝のみでG1に縁がなかった。4歳初戦のフェブラリーSでは生涯最悪の10着に大敗。それを最後に1600m以下のレースには出走せず、フェブラリーSも含めて計2戦しかしていない。
その一方、大井競馬場では重賞初挑戦のジャパンDダービーで2着、暮れの東京大賞典でも前年のJRAダート王ゴールドドリームとの叩き合いを制してG1初制覇と3歳から結果を出した。4歳では帝王賞と東京大賞典のダブル制覇を達成し、浦和開催のJBCクラシックも2着。NARグランプリダートグレード競走特別賞を受賞した。
5歳は2戦目の帝王賞、3戦目のJBCクラシックと得意の大井でクリソベリルに連敗するも2着を死守。最後は東京大賞典3連覇で締めくくった。その半年後、6歳の帝王賞は5着に完敗。大井で初めての連逸となったが、立て直して金沢開催のJBCクラシック(2着)から東京大賞典に臨み、見事に4連覇を達成する。
当初は4連覇で引退のはずだった。しかし、オメガパフュームは7歳も現役を続けることになり、初戦のアンタレスS勝ちで健在を示したものの、その後は6月の帝王賞と11月のみやこSで3着。加齢とともにレースの疲労回復に時間を要すようになったという理由により、東京大賞典5連覇の大偉業を目前に改めて引退が発表された。