ストーリー
2011年にゴールドアクターが生まれた北海道・新冠町の北勝ファームは、馬主の居城寿与氏が所有する従業員2人の小さな牧場だった。父スクリーンヒーローにとっては初年度産駒、母ヘイロンシンも生産数の少ないキョウワアリシバ産駒という未知の血統を背景に競馬のロマンを体現していくことになる。
ゴールドアクターは明け3歳初戦の1月、デビューから3戦目で初勝利を挙げた。初陣から長めの距離に適性を見出されていたが、一方で燃える気性に課題があり、初勝利後のゆりかもめ賞で1馬身差、山吹賞はハナ差で惜敗。ダービーを目指して挑戦した青葉賞も優先出走権まで1馬身足らずの4着に敗れて休養に入る。
そして、3か月のリフレッシュから夏の札幌開催で再始動したゴールドアクターは、2600mの条件戦を積極策で2連勝。2か月後の菊花賞に参戦を果たすと、自身と同じく夏場に台頭してきたトーホウジャッカルのレコード駆けには屈したものの、7番人気の伏兵評価を覆す3着に善戦した。タフなレースにより大きなダメージを受け、翌年の夏まで長期休養を余儀なくされることにはなったが、戦列に復帰すると難なく連勝して条件戦を卒業する。
続くオープン初戦ではアルゼンチン共和国杯に挑戦。苦しい体勢からアタマ差で1番人気に応え、父スクリーンヒーローとの父子制覇で初のタイトルを手にした。さらに、次戦で有馬記念に矛先を向けると、1年前の菊花賞で先着されたサウンズオブアースの急追をクビ差しのぎ、祖父グラスワンダーに続くグランプリ制覇。夏の条件戦から4連勝で一気にG1ホースとなった。
明けて5歳初戦は有馬記念と同じ舞台設定の日経賞で再びサウンズオブアースを下して5連勝とした。しかし、次戦の天皇賞(春)では1番枠のキタサンブラックと3番枠のカレンミロティックが先行して勝利を争う中、17番枠からロスの大きな競馬を強いられて大敗。暑さを避けて宝塚記念には向かわず、休み明けのオールカマーで巻き返しの勝利を挙げたものの、結局、これが最後の白星となる。
その後はジャパンCで4着、連覇を狙った有馬記念でも3着と一歩及ばず、翌春の天皇賞はレース前からテンションが高く出遅れて7着。続く宝塚記念では2着に巻き返して意地を見せ、グランプリ出走機会3戦連続の入着を果たした。しかし、疲れが尾を引いて秋を全休すると、現役を続けた7歳は精彩を欠き、そのまま種牡馬入りすることになった。