ストーリー
日本でもっともスピードが生きるコースといえば、新潟競馬場の直線1000m。カルストンライトオは、その直線コースを舞台に行われるアイビスサマーダッシュを2勝、そしてついにはスプリンターズSまで制した快速馬だった。
カルストンライトオのデビューは00年。芝1200mの新馬戦を4馬身差、そして500万を6馬身差と、群を抜いた速さでデビュー2連勝を飾った。
3走目はG1・朝日杯3歳S(現朝日杯FS)。不利と言われる中山芝1600mの外枠ながら、持ち前のスピードで楽に先手を奪ったが、直線坂下で後続に捕まりメジロベイリーの8着に敗退した。
翌01年にはオープン特別の葵Sや北九州短距離Sは逃げ切ったものの、重賞ではファルコンSは3着、この年に新設されたアイビスサマーダッシュもメジロダーリングの3着。相手が強くなると、ひと押しが足りないレースが続いた3歳時だった。
4歳を迎えた02年は春競馬を休養。復帰2戦目、1600万に降級したTUF杯で力の違いを見せ快勝すると、オープン2戦を挟んでアイビスサマーダッシュへと駒を進めた。
3歳時の前年でも差のない3着に好走した一戦。スピードをフルに発揮できる舞台で、カルストンライトオは圧倒的な速力を見せつけた。スタート直後の1ハロンこそ12秒0だったが、2ハロン目に軽く気合をつける程度で叩き出したラップは9秒8。3ハロン目も10秒2で後続との差を広げると、残り400mからはさらにスピードを上げ、この1ハロンはなんと9秒6。ラスト1ハロンは12秒1かかったが、前年のメジロダーリングを0.2秒上回る日本レコード・53秒7。8枠12番から外ラチ沿いを一気に駆け抜けたその姿は、まさに「矢のように」という表現がぴたりと当てはまる、衝撃的な走りだった。
これで勢いに乗るかと思われたカルストンライトオだったが、その後は脚部不安などもあって苦戦が続く。02年はその後未勝利、そして03年はアイビスサマーダッシュへの出走もかなわず、オープン特別のアンドロメダS1勝のみにとどまった。
しかしカルストンライトオは、04年夏に復活する。休養明けを2、3着にまとめると、アイビスサマーダッシュに2年振りの出走。5枠5番のスタートから外ラチ沿いへと馬を寄せ、02年を再現するような走りでまたも鮮やかな逃げ切り勝ちを飾ったのだ。
続いて出走したのは、G1・スプリンターズS。1ハロン長い1200mで直線に坂のある中山、さらにスピードの削がれる不良馬場。決して楽な条件ではなかったが、前半3ハロンを33秒6で飛ばしていった。すると後続の手応えが逆に怪しくなり、直線入り口では2番手以下を引きちぎるようにリードは2馬身、3馬身。さらに坂下では5〜6馬身まで差を開き、最後は連覇を狙ったデュランダルの追撃も楽々と振り切り、4馬身差の大楽勝でG1タイトルを手中にした。
その後は5戦未勝利で引退したカルストンライトオだったが、2度のアイビスサマーダッシュ、そしてスプリンターズSで見せたスピードは強烈。今でも快速馬といえばまずこの馬が挙がる、近年の日本を代表する「逃げ」のスプリンターだ。