ストーリー
日本ダービーを制したウオッカを筆頭に、近年は2000mを超える距離で一流の牡馬と互角以上の勝負を見せる牝馬も多くなってきた。しかし以前は、短距離戦ならまだしも、中〜長距離になると牡馬の壁は非常に厚かった時代があった。そんな中で、牡馬と対等の勝負を演じたのがヒシアマゾンだ。
ヒシアマゾンは93年にデビューし、すべて牡馬相手に3戦1勝2着2回で阪神3歳牝馬Sに駒を進めた。すると、牝馬同士なら力が違うとばかりに好位追走から後続を5馬身突き放す圧勝劇。けた違いの能力を示し、最優秀3歳牝馬に選出された。
当時は外国産馬にクラシック出走権はなく、翌春は京成杯2着後、クイーンC、クリスタルC、そしてニュージーランドT4歳Sと3連勝。とても届かない位置から差し切ったクリスタルCでの豪脚は今でも語りぐさだ。この圧倒的な強さから、春の時点で早くも牡馬二冠馬・ナリタブライアンとの対決を楽しみにする声が大きくなっていったのだった。
秋を迎えたヒシアマゾンは復帰戦のクイーンS、そしてローズSを連勝し、当時4歳(旧表記)限定のエリザベス女王杯へと出走する。桜花賞馬・オグリローマン、オークス馬・チョウカイキャロルも出走していたが、ここは1.8倍の断然人気。レースでは並んで追い込んだチョウカイキャロルに苦戦を強いられたものの、ゴール前でハナ差これを競り落とし、重賞6連勝で有馬記念へと向かった。
待ち受けるは、菊花賞で見事三冠を達成した同期のナリタブライアン。ヒシアマゾンの強さも認められていたとはいえ、3歳牝馬がこの距離で古牡馬相手となる点を不安視する声も多く、6番人気の低評価にとどまった。
しかし、ヒシアマゾンはそんな声に反発するかのような激走を見せる。4コーナーで先頭に立ったナリタブライアンの直後から追い、最後は3馬身の差こそつけられたものの、3着ライスシャワー以下、古牡馬陣には「完勝」の2馬身半差。改めてその力を証明し、最優秀4歳牝馬に選出された。
古馬になったヒシアマゾンは、レース選択に苦労することになる。当時、外国産馬は天皇賞に出走権がなく、古牝馬のG1競走も存在しなかったのだ。活躍の場を海外に求めたが、脚部不安で出走を断念。そして高松宮杯では、初めて連対を外す5着に敗退してしまう。
しかし、それでもヒシアマゾンは強かった。秋はオールカマー、京都大賞典と連勝。さらにジャパンCでは、豪快な差し脚を発揮して日本馬最先着の2着好走。この活躍で最優秀5歳以上牝馬に輝いたのだ。
翌年はダート戦出走も検討されたが、抜群の適性を見せた同厩・ホクトベガに任せ芝路線へ。この96年から古馬に解放されたエリザベス女王杯で2位入線降着などを経て、有馬記念5着を最後にターフを去った。
現在はヴィクトリアMの創設や、ほかの重賞も多く整備された古牝馬路線。その過程を語る上で、牡馬相手に大健闘を見せ、そして同時に苦しんだヒシアマゾンは決して忘れられない存在となっている。