ストーリー
マイラーの武器といえば、1600mを緩みなく乗り切る豊かなスピード。あるいは鮮やかな瞬発力で混戦を差し切るタイプも多い。
そんな中、1997年の桜花賞馬キョウエイマーチは、パワーを持ち味としたユニークな存在だったといえるのではないだろうか。
父はダンシングブレーヴ。英2000ギニーやキングジョージ、凱旋門賞などを制した1980年代の名馬だ。深くて重いといわれる欧州の芝で数々のビッグレースを制し、しかも稍重や重馬場でもたびたび好走しているように、類稀なるパワーの持ち主だったはずだ。
母インターシャルマンはダートで4勝をあげた馬。母の父ブレイヴェストローマンは帝王賞勝ち馬オサイチブレベストなどダートの強豪を数多く輩出、当時を代表するパワー血統として知られていた種牡馬である。
その血は娘にも確かに受け継がれ、キョウエイマーチはダート1200m戦で「大差」勝ちという圧倒的なデビューを飾ったのだった。
続く500万下特別、芝1600mの千両賞では3着に敗れたものの、明けて3歳初戦、ダートに戻った寒梅賞では10馬身差の逃げ切り勝ち。あらためて凄まじいまでのパワーを見せつけることに成功する。
ふたたび芝に挑んだのがエルフィンS。千両賞で敗れた相手ホッコービューティに1番人気を譲ったものの、稍重の馬場にも助けられて今回は半馬身差勝利で雪辱を果たす。さらに報知杯4歳牝馬特別では、阪神3歳牝馬S2着のシーズプリンセスを7馬身もちぎり捨てて、そのパワーが良馬場でも通用することを証明してみせた。
そうして臨んだのが第57回桜花賞だ。最大の敵は、前年の2歳女王メジロドーベル。両馬の一騎打ちムードで開幕したこのレースは、いともあっけなく決着を見る。
降り続く雨、芝コンディションは不良の発表。並のマイラーならひるんでしまう条件で、パワーあふれるキョウエイマーチは駆けた。
果敢に逃げるのはミニスカート。大外18番枠からスタートしたキョウエイマーチは、引っ張り切れないほどの手ごたえで並びかけていく。馬場を考えればかなり速いラップだったが、直線に入ってもキョウエイマーチの脚色は衰えず、逆に後続をみるみる引き離していった。大外からメジロドーベルも意地を見せて追い込んできたものの、これに4馬身という決定的な差をつけて、キョウエイマーチは桜の女王の座をつかんだのだった。
オークスでは距離がこたえたか、得意の道悪にも関わらず11着に敗れたキョウエイマーチだが、秋は秋華賞2着、マイルCSではタイキシャトルの2着などと力をアピール。古馬になってからも、フェブラリーS5着、阪急杯制覇、南部杯2着、京都金杯は5馬身差1着など、長きに渡って一線で活躍し続けた。その源は、パワー。どんな馬場でも苦にしないパワーが、キョウエイマーチの体内にはあふれていたはずである。