ストーリー
デビューから日本ダービーまで、わずか8戦。現役生活の短かったアイネスフウジンだが、その間に2度も歴史を作っている。
1度目は、朝日杯3歳S(現・朝日杯フューチュリティS)でのこと。アイネスフウジンはデビュー戦、2戦目と連続して2着に敗れ、3戦目にようやく未勝利勝ち。さほど目立たない成績で、このレースに挑んだ。
人気を集めたのは、いちょうS勝ち馬カムイフジ、牝馬ながら京成杯3歳Sを勝ったサクラサエズリ、すずかけSの1着馬クロスキャストなどだったが、これらを相手にアイネスフウジンは素晴らしいレースを見せる。
好位からジワリと差を詰め、直線では逃げるサクラサエズリを交わし、そのままリードを2馬身半まで広げてのゴール。勝ちタイム1分34秒4は、あの伝説の馬マルゼンスキーと同じタイレコードだ。
歴史的快走で、一躍アイネスフウジンは注目を集めるようになったのである。
年が明け、共同通信杯では後続に3馬身差をつける逃げ切り勝ちを飾ったものの、弥生賞は不良馬場が向かなかったかメジロライアンの4着。それでもアイネスフウジンは、クラシック第1冠・皐月賞で1番人気に推されることになる。誰もがアイネスフウジンの歴史的スピードを認めていた証拠だ。
が、結果は2着。やや出遅れ気味のスタートからよく先行し、直線では抜け出したのだが、外から食い下がったハクタイセイとの競り合いにクビ差だけ敗れてしまったのだ。
雪辱を期して挑んだ日本ダービー。ここがアイネスフウジンにとって、ふたたび歴史を作る舞台となった。
アイネスフウジンの父は天皇賞馬モンテプリンスなどを出してスタミナ血統として知られるシーホーク、母の父はトウショウボーイやサクラユタカオーなどを輩出したスピード馬テスコボーイ。スタミナとスピードの融合体が府中の2400mで雄雄しく駆ける。
スタートから間もなく先頭を奪ったアイネスフウジンは、以後も淡々とラップを刻み続ける。好位を追走したあるジョッキーが「もう3コーナーでやられたと思った」という、絶妙なペースで直線へ。
類稀なるスピードを、体内に潜むスタミナで持続させるアイネスフウジン。どの馬も追いつくことはできない。ようやくメジロライアンが追い込んできたものの、これに1馬身4分の1差をつけての先頭ゴール。勝ちタイムはダービーレコードとなる2分25秒3だ。
この日、東京競馬場に詰め掛けていたのは、いまも最多入場人員記録として残る19万6517人ものファン。その大観衆から、鮮やかなレースを見せたアイネスフウジンと、その鞍上・中野栄治騎手を称える「ナカノ」コールが巻き上がる。
それは、前代未聞の出来事。アイネスフウジンは日本ダービー史に名を刻むとともに、新しい時代をも作ったのである。