要約
1969年生まれ、京都府出身。デビュー以来、史上初・史上最年少・史上最速の名がついた数々の輝かしい記録を打ち立て、自らの記録さえも塗り替え続ける武豊は世界の舞台で戦い続ける。
JRA通算3800勝、重賞300勝など数々の記録を打ち立て、日本競馬界を牽引してきた天才はデビュー30周年を迎えた。
乗るだけで緊張したオグリキャップ。ゴールした瞬間に鳥肌
さきほどお話にもありましたオグリキャップの有馬記念について伺ってもいいでしょうか。あのときはわたしも競馬場にいましたけれど、先頭に立ったときには、まわりの人が物凄い盛り上がりで、勝ったときには誰彼構わず抱き合っていました。あんなレースは、後にも先にもあのとき一度きりですね。
あのときは「オグリキャップに乗る」というだけでさすがに緊張しましたし、「なにか、えらいことを頼まれてしまったな」という感じですよね、引退レースですから。でも、騎乗できてすごく嬉しかったです。ただ「こう乗ったら勝てる」とかいった感覚はなかったですね。正直に言いますと、最後なので「なるべく4コーナーで前につけよう」とか「外めを走ろう」とか、そんな気持ちはありました。ファンと同じような感覚ですから。
4コーナーで外から先頭に並ぶというその通りの競馬になりましたが、大歓声の中、そこから押し切って勝ったときには…。
ぼくもあのとき一度だけなんですが、ゴールした瞬間に鳥肌が立ちました。あの雰囲気の中だからこそ味わえた感覚だと思います。
その前の天皇賞(秋)が6着、ジャパンCが11着。もう「オグリキャップは終わった」という下馬評で、ほんとうにマスコミの評価は低かったですね。有馬記念には出走せず、引退したほうがいいという声もありました。
ただ、出走するとなったら17万人…、中山競馬場で17万人を超えましたからね。本馬場からスタンドを見たときに、隙間がひとつもなかったのは、はっきり覚えています。これも、あの1回だけですね。
馬券売り場に見たこともないような行列ができていて、これは馬券が買えないかもしれないと思いました。それも、あの1回だけですね(笑)。
ああいった経験をさせてもらえたことはすごくラッキーだったと思いますし、あのレースから、ちょっと競馬場の雰囲気が変わったところもありました。
デビュー戦「ついに出た!」と感じたディープインパクト
そして先ほどもお話しがありましたディープインパクトですが…。
それまでもいい馬にはたくさん乗せていただきましたけれど、「もっとすごい馬が現れるんじゃないか」とは内心でずっと思っていました。それで初めてディープインパクトの調教に乗ったときに「ひょっとしたら、この馬がそうかもしれない」と。それでデビュー戦で「ついに出た!」と思いましたね。それがディープインパクトです。
皐月賞のときには「飛んだ」と表現されました。
自然と口をついて出たと言いますか、それまで乗ってきた馬とは感覚がちょっと違うと感じました。馬もファンを引きつけると言いますか、かっこよかったですよね。強かったですよ、ホントに。
菊花賞では横山典弘騎手のアドマイヤジャパン(2着)が後続を離して先行していましたが、武さんは悠然と後ろで構えている感じでした。ファンは「ホントに間に合うの?」と思って見ていましたが…。
間に合うんですよ(笑)。菊花賞は一瞬引っかかってしまって「ちょっと困ったな」と思いましたけれど、これで慌ててラストも早めからいくとさすがのディープでも…と考え、末脚に賭けようと切り替えました。でも本当に強かったですね、乗るたびに衝撃を受けました。
種牡馬になったディープインパクトの産駒にもたくさん乗られています。
種牡馬になってもすごいですよね。それだけ「選ばれた馬」だったということでしょうか。
馬体的にはそんなに大きな馬ではなかった(最高体重は新馬戦の452キロ)ですね。
どちらかと言えば男馬としては小さいほうですが、走っていてサイズは感じなかったですね。あの馬の主戦を務めさせていただいたのは大きかったですし、いろいろな経験をさせてもらいました。
(取材・文:市丸博司/パソコン競馬ライター)
(写真:倉元一浩)