ストーリー
伝染性貧血による殺処分から運よく逃れたクモワカと、その娘として生まれ、母が2着に敗れた桜花賞を制したワカクモ。そんな母娘物語でも十分にドラマチックだが、さらにワカクモの息子は、競馬に内包される美しさと激しさと哀しさを、たった1頭で体現する存在へと育つことになる。
わずか5年の短い生涯を駆け抜けた馬、テンポイントである。
生い立ちはもちろん、陽に映える栗毛と額の流星、バランスの取れた気品ある馬体も注目を集め、いつしか「貴公子」と呼ばれるようになったテンポイント。1975年8月に新馬勝ちを果たすと、阪神3歳S、翌76年のスプリングSを含むデビュー5連勝を飾り、1番人気でクラシック第一冠・皐月賞へ挑んだ。
が、「天馬」の称号を授かった2番人気トウショウボーイに屈しての5馬身差2着。ここからテンポイントは、涙に暮れる日々を送ることになる。
日本ダービーでテンポイントは、勝ったクライムカイザー、2着トウショウボーイから10馬身以上も離された7着に敗退。菊花賞ではようやくトウショウボーイに先着するものの、伏兵グリーングラスに敗れての2着に終わる。有馬記念ではレコードタイムで駆けたトウショウボーイの後塵を拝し、またも2着。どうしても、勝てない。
翌77年、天皇賞・春で難敵グリーングラスらを退けてようやく栄冠に手が届いたが、宝塚記念ではまたもトウショウボーイの2着。その秋、テンポイントは京都大賞典とオープンを勝利し、ひたすら“打倒トウショウボーイ”の一心を燃やして、暮れの大一番・有馬記念へと駒を進めた。
そして、伝説の一戦が生まれる。
このレースを花道としてトウショウボーイは引退の予定。つまりテンポイントにとって、天敵を打ち負かす最後のチャンスだ。そんな状況が劇的な展開を作り出した。
自信満々に逃げを打つトウショウボーイと、敵はただ1頭とばかりに馬体を合わせていくテンポイント。ほかの6頭など一切眼中にない、完ぺきなるマッチレースだ。4コーナーでテンポイントが前へ、抜かせないトウショウボーイ、直線でも互いに差し返す脚を見せて、貴公子と天馬がビッシリと叩き合う。最後はテンポイントが4分の3馬身だけ先んじてゴールへ。ラストチャンスを力で制して、テンポイントが夢を果たしたのである。
翌78年1月。海外遠征を控えたテンポイントは、壮行レースともいうべき日経新春杯に姿を見せる。だが、舞う雪の下、66.5kgという斤量を背負って駆けたテンポイントを4コーナーで待っていたのは、左後肢骨折という悲劇だった。
その後、大手術と闘病生活を経て、永遠の眠りについたテンポイント。美しく激しく哀しいストーリーを、オールドファンが涙とともに思い出す、伝説の名馬である。