ハイセイコー 日本を熱狂させた初代アイドルホース

ハイセイコー
Photo by Japan Racing Association
性別
出生年月日 1970年3月6日
毛色 鹿毛
チャイナロック
ハイユウ
競走成績 22戦13勝 (中央:16戦7勝、地方:6戦6勝)
獲得賞金 2億1953万9600円
表彰歴 1984年 顕彰馬
1973年 特別賞、大衆賞
主な勝鞍 1973年 皐月賞
厩舎 鈴木勝太郎(美浦)
生産者/産地 武田牧場 (新冠町)
馬主 ホースマンクラブ
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ストーリー

地方競馬出身、「怪物」の愛称、そしてアイドルホースといえば、オグリキャップを思い出すファンの方も多いはず。しかし、その「初代」といえば、73年に中央入りし、無敗のまま皐月賞を制したハイセイコーだ。

ハイセイコーのデビューは72年。大井競馬場の1000m戦を8馬身差でレコード勝ちすると、11月の青雲賞(現ハイセイコー記念)まで6連勝。いずれも2着に7馬身以上の差をつける圧勝で3歳戦(旧表記)を終えた。

4歳を迎えて中央・東京(当時)の鈴木勝太郎厩舎に転厩したハイセイコーは、弥生賞で中央デビュー。怪物をひと目見ようと、当日の入場人員は12万人を越す超満員。コースにあふれ出したファンがいたという逸話まで残る熱気の中、4コーナー3番手から末脚を伸ばしたハイセイコーはゴール寸前でニューサントを交わし、転厩初戦・初芝を克服して7連勝。さらに、スプリングSで連勝を8まで伸ばし、クラシック第一弾・皐月賞へと駒を進めた。

皐月賞を1番人気で迎えたハイセイコーは、5〜6番手追走から徐々にポジションを上げると、3コーナーで早くも先頭。楽な手応えのまま直線に向き、カネイコマ以下の追撃を余裕十分に振り切って、無傷の9連勝でひとつ目のタイトルを手中にした。

続いて、東京コースを経験するためダービートライアルのNHK杯にも出走。直線半ばで差のある4〜5番手と苦しい競馬になったが、坂上からしぶとく伸びて10連勝。このころにはブームもピークに達し、入場人員は17万人近い当時のレコード。少年マンガ誌の表紙を飾ったほか、「東京都ハイセイコー様」でファンレターが届くようにもなっていた。

そんな中で迎えた日本ダービーは、史上最高の単勝支持率66.7%。ほとんどのファンがその勝利を信じて疑わなかった。ところが、4コーナーで2番手に上がったハイセイコーは、直線でニューサントに並んだ直後、外から後のライバル・タケホープ、そしてイチフジイサミに一気に交わされ3着。デビュー以来初めての敗戦を喫してしまったのだった。

日本ダービーで連勝が途絶えたハイセイコーは、菊花賞のゴール寸前でタケホープの急襲に遭いハナ差の2着に敗れるなど、勝てないレースが続いていた。しかし翌74年3月の中山記念では馬場の中央を独走。2着に大差、タケホープも3着に下して久々の勝利を挙げる。続く天皇賞(春)では6着に敗れたものの、タケホープ不在の宝塚記念はレコードタイムで圧勝。さらに高松宮記念(2000m)も連勝し、中距離の舞台で再び輝きを取り戻したのだった。

秋は京都大賞典4着、オープン2着後に鼻出血があり天皇賞を回避。有馬記念では、タケホープを振り切って2400m以上では初めて先着を果たしたものの、逃げたタニノチカラを捕らえきれず、現役最後のレースを2着で終えた。

引退後には、手綱をとった増沢末夫騎手の歌う「さらばハイセイコー」がチャートで4位にランクイン。また、79年に産駒・カツラノハイセイコが、自身のなし得なかった日本ダービーを制覇。90年にはハクタイセイが皐月賞父子制覇を達成するなどの実績を残し、種牡馬引退後の00年に余生を過ごしていた牧場で息を引き取った。

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