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私の競馬はちょっと新しい
第51回 競馬評論家 古谷剛彦さん

「記憶に頼っていたパドックを、映像で振り返られるのは便利ですね」
古谷剛彦さん写真
1975年生まれ、東京都出身。学生時代からJRDBにスタッフとして携わり、卒業後はローカルを中心としたパドック診断を担当。現在はホッカイドウ競馬を中心に地方競馬のパドック解説を行うほか、グリーンチャンネル「KEIBAコンシェルジュ」「馬産地通信」に出演するなど、各方面で活躍中。

青果市場で競馬と出会う

市丸:それでは、よろしくお願いします。古谷さんといえば北海道という印象をお持ちの方も多いと思いますが、ご出身は東京都で、大学も関西大学なのですね。競馬と出会ったのは、東京にいたときですか?

古谷:はい。実家が江東区で八百屋をやっていまして、市場に行くのが好きだったんです。市場では、休みの時間にスポーツ新聞を開いて競馬の話をする、という環境でしたから、自然と競馬を覚えていきました。

市丸:どちらの市場に行かれていたのですか?

古谷:千住です。朝7時に朝食や休憩の時間になると、みんなで事務所に集まって競馬の話をするという流れでした。小学校に入る前にはよく行っていましたし、学校に入ってからも、休みの日には連れて行ってもらっていました。また、WINS錦糸町が近かったのもありますし、父親と後楽園に行くといえば黄色いビル(WINS後楽園)に寄り、花やしきに行くといえばWINS浅草に……。

市丸:お父さんは競馬がかなりお好きでいらっしゃったのですね。

古谷:父はタニノハローモア(1968年日本ダービー優勝馬)からやっていて、一番上の姉はマルゼンスキー(1976年朝日杯3歳S優勝馬)のファンだったそうです。父に聞いたら、マルゼンスキーのレースは正座して見ていたって言ってました。

市丸:マルゼンスキーはわたしが競馬を始める少し前だったんですよね。ご兄弟も皆さん競馬をお好きで?

古谷:いえ、一番上の姉とわたしだけです。ただ、2番目の姉も少しずつ興味を持ってきているようで、今はカナダに住んでいるのですが、この前帰って来たときには中山競馬場に行きたいといって、父と一番上の姉と行ってましたね。

古谷さんインタビュー写真2

市丸:それから関西大学へ進まれたのは、大阪に行きたかったのでしょうか?

古谷:いえ、そこしか受からなかったもので(笑)。試験日が関東の大学よりも早い関西の大学を先に受けたら合格しまして、一浪もしていましたから、そこで決めました。

市丸:学生時代からJRDBに参加されていたそうですが、競馬の仕事に就きたいという思いはいつごろからお持ちだったのでしょう。

古谷:中学のころにはアナウンサーかトラックマンになりたいと思い、親や先生にはそう言っていました。中学のころにはラジオたんぱをよく聞いていましたし、テレビの音声をミュートして自分で実況をして録音するといった、まねごとはやっていました。

市丸:JRDBに入られたきっかけを教えていただけますか?

古谷:2年のときのプレゼミの先生が、(JRDBを立ち上げた)赤木一騎さんと知り合いだったんです。あるテレビ番組で「ギャンブル経済学」を取り上げたときに先生が出演されたのですが、そのときに教授仲間に赤木さんを紹介していただき、いろいろ話を聞いたそうです。それで、先生から「競馬が好きならこういう人がいるから紹介してあげようか」という話になり、紹介していただきました。

市丸:そのとき、もうJRDBのサービスは始まっていたのですか?

古谷:まだ始まっていませんでした。その後、新しい会社を作るので一緒にやらないか、と声をかけていただき、立ち上げのときからバイトという位置づけで参加させていただきました。それが大学2年から3年にかけてのことです。

大学を卒業されるとき、就職活動はされたのでしょうか?

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