私の競馬はちょっと新しい
第47回 アナウンサー 坂田博昭さん
- 「みなさんと一緒に、競馬を一生楽しみたいです」
- 1968年生まれ、東京都出身。東京大学経済学部卒業後、JR東海に入社。00年6月に同社を退職し、翌年1月よりグリーンチャンネル「中央競馬中継」のキャスターをつとめる。ほかに地方競馬や競艇の実況、せり市のオークショニア、そしてイベントの司会など多方面で活躍中。
秋葉原に通ってパソコンで遊ぶ少年時代
市丸:それでは、よろしくお願いします。
坂田:はい、よろしくお願いします。
市丸:坂田さんのプロフィールを拝見いたしましたが、東京の上野育ちだそうですね。
坂田:そうですね、10年くらい。中学に上がるくらいまでは上野で育ちました。
市丸:その後はどちらへ?
坂田:一貫して都内です。今、実家は千葉ですけれど、それまではずっと東京です。
市丸:子供のころはどのように過ごされていましたか?
坂田:体を動かすのはあまり得意ではなく、秋葉原によく通っていましたね。
市丸:上野からですと近いですよね。
坂田:自転車でよく秋葉原に行っていました。ちょうどパソコンの「はしり」の頃で、AppleIIやMZ-80などをさわって遊んでいました。PC-8001がまだ16キロバイトしかメモリを積んでいなくて……。
市丸:時代を感じますね(笑)。
坂田:今のひとたちに話をすると「えっ、なんですか『キロ』って?」という話ですけれど(笑)。もっと小さいころは、路地裏でプラスチックのバットを振ったりして、まさに「昭和」の感じでしたけれど、もう少し経ってからは、そちらの方面に進んでいきました。
市丸:なにかパソコンに触れられるきっかけなどはあったのですか?
坂田:近かったので、家族で散歩に出かけたりもしていましたし、なにか楽しかったんでしょうね。今の秋葉原は変わりましたけれど、当時はどの店でも店頭にパソコンのデモ機が置いてあって、それで遊ぶのが楽しかったです。
市丸:競馬と最初に出会われたのもその頃のことでしたか?
坂田:一緒に住んでいる家族が競馬をやっていたわけではありませんでしたが、叔父は好きでした。子供の頃、週末に遊びに行くとテレビで競馬が流れているのを目にしたと。そんな程度ですね。ただ、当時それで興味を持つということはなくて、毎週のように競馬を見て、今に至るきっかけとなったのは、大学に入ってからです。サークルの先輩たちと一緒に競馬を見に行ったり、ペーパーオーナーゲームを楽しんでいました。
市丸:競馬のサークルに入られたのですね。
坂田:なんとなく、ふらっと行って入ってみたら面白かったんですね。それで毎週行くようになって、競馬場に行った後は、食事をしたり麻雀をしたり。
市丸:東京大学を卒業されていますが、東京大学の競馬サークルというとかなり有名な……。
坂田:後から有名になったんです。今は国会議員をされている柿沢未途さんが「カルトQ」で優勝しました。ただ当時は、どこかに露出するとすれば、スポーツ紙で、六大学の競馬サークルが順番に予想を出していた中に入っていたくらいでしたね。
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