私の競馬はちょっと新しい
第43回 競馬エイト記者 津田照之さん
- 「ケータイやレーシングビュアーで昔では考えられないほど便利になりました」
- 1970年生まれ、大阪府出身。大学卒業後に「ホースニュース社」に入社し、専門紙「馬」の関西所属のトラックマンとして主に栗東や北海道を担当。08年より競馬エイトに移籍。グリーンチャンネル「KEIBAコンシェルジュ」出演などさまざまなメディアで活躍中。
予想でノアノハコブネの単勝を的中
市丸:新聞をご覧になると、馬券は買えないにしても予想くらいはされていたと思いますが、どんな感じだったでしょうか?
津田:センスはありましたよ。目の付け所が良かったり、これだと信じた馬が来たこともありましたね。
市丸:具体的に、この予想が当たったと覚えておられるレースはありますか?
津田:ノアノハコブネが勝ったオークス(85年)の予想が当たりました。4コーナー26番手から差し切って、単勝60倍以上(6270円、オークス史上最高配当)つきましたけれど、あれが競馬にはまり込むきっかけにはなっていますね。
市丸:ノアノハコブネというと、音無秀孝現調教師が騎乗していました。
津田:自分の中ではあこがれの存在でした。ただ、この仕事に就いて実際にお会いしたら、話好きのおじさんでしたね(笑)。でも、わたしがこの業界に入るきっかけを与えてくれた方ですし、尊敬しています。
市丸:高校に進学されてからはいかがでしたか?
津田:仲間内に競馬に詳しい人もいて、一緒にいろいろと「予想」して遊んでました。たとえば、音楽など特別教室に移動する授業があると、その授業が終わると真っ先に自分の教室に帰って、他の生徒で誰が一番最初に帰ってくるかを当ててみたり。運の要素が強いですが、人の性格などを考えて予想するんですね。今になって考えれば、練習にもなっていたようにも思えます。
市丸:そのころは競馬場には行かれなかったのですか?
津田: 親父が場外馬券派だったので、競馬場に行くことは少なかったです。ただ、8つ離れた兄に、たまに阪神競馬場へ連れて行ってもらうことはありました。
市丸:ホースニュース社へは大学卒業後に入社されていますが、いつごろからこういった仕事を考えられていたのでしょうか。
津田:もう高校のときには考えていました。以前、競馬ブックのテレビCMで、トラックマンの方が「Gメン」のように並んで歩いてくるのがあったのをご存じですか?
市丸:ありましたね、そういうのが。
津田:あのコマーシャルを見て喜んだりしてましたから(笑)。ただ、そのころはまだ漠然としたもので、真剣に考えはじめたのは大学へ行き、就職活動をするようになってからです。このまま趣味として残しておく方がいいのか、悩みました。
市丸:わたしも、ある競馬新聞の試験で「一番好きなものは仕事にしない方が良い」と言われた経験があります。
津田:大人の見方としてはそうなりますよね。今、もし自分がアドバイスをするとすれば、そのように言うかもしれません。いろいろ受けた中で、採用していただいた馬社でも「こんな若者が馬社でいいの?」とか「給料安いけど」「もっと普通の仕事に」などと、将来を心配していただきました。ただ、当時は「やりたい」という思いが強かったです。
市丸:ホースニュース社といえば、前々回にご登場いただいた丹下日出夫さんが、東京で編集のお仕事をされていました。
津田:「馬」出身で活躍されている方には、東京の編集だった方が多いですが、わたしは最初からトレセンで、現場ひと筋です。
市丸:辻三蔵さんはトラックマンでした。
津田:そうですね。今もトレセンに来ていますけれど、予想などでもあまり現場色は濃くないイメージはありますよね。
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