私の競馬はちょっと新しい
第43回 競馬エイト記者 津田照之さん
- 「ケータイやレーシングビュアーで昔では考えられないほど便利になりました」
- 1970年生まれ、大阪府出身。大学卒業後に「ホースニュース社」に入社し、専門紙「馬」の関西所属のトラックマンとして主に栗東や北海道を担当。08年より競馬エイトに移籍。グリーンチャンネル「KEIBAコンシェルジュ」出演などさまざまなメディアで活躍中。
中学2年、シンボリルドルフで競馬に出会う
市丸:それでは、よろしくお願いします。
津田:よろしくお願いします。市丸さんとは何度も飲みに行っていますけれど、あまり競馬の話をした記憶はないですね。
市丸:そうでしたね。その分、今日はたっぷりとうかがいたいと思います。1970年生まれとのことですが、35歳くらいから全然年を取られない感じですね。
津田:昔から割と年齢よりは若く見られることが多いのですが、内臓は確実に蝕まれていると思います(笑)。
市丸:一時、少し恰幅が良くなられていたようにも思いますが、最近になって痩せましたか?
津田:一時よりは。あと、市丸さんの前で髪の毛の話をして良いのかわかりませんが、髪を黒く戻して印象が変わったかもしれませんね。茶色いと、どうしても膨張して見えますから。
市丸:あ、白髪を染めたわけではないのですね(笑)。
津田:茶色かったのを戻しました。「マロン」というあだ名をつけられそうになったので。40にもなって「マロン」って嫌でしょ(笑)。
市丸:グリーンチャンネルの中継でパドック担当のときに呼ばれる「テリーさん」というのは(笑)。
津田:最近はファンの方にも少しずつ、そう呼ばれることも増えましたね。自分で名乗るようになると圧倒的にそう呼ばれることが増えるのでしょうし、嫌でもないですが、積極的に「テリー」で売りだそうというつもりはないですね。
市丸:では、本題の競馬の話に移りたいと思いますが、津田さんが競馬と出会われたのは……。
津田:中学2年のときです。
市丸:1984年とか……、馬でいうとシンボリルドルフのころですか。
津田:ええ、ルドルフが三冠を獲った年です。もともと父親が馬券を買っていて、週末になると新聞を持ち帰るので、それを見ていたらちょうどルドルフが多く取り上げられていました。それから徐々に詳しくなっていきましたね。
市丸:そのころですと、まだダビスタなどなかった時代ですね。
津田:競馬ゲームはまったくなかったですね。当時はバスケットボールをやっていて、日曜には大抵、対外試合があったのですが、帰って録画した競馬のビデオが見たくて「早く終わらないかなあ」と思っていたのを覚えています。
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