私の競馬はちょっと新しい
第41回 競馬評論家 丹下日出夫さん
- 「『こんないい馬がいるんですよ』と、みなさんと一緒に楽しみたいです」
- 1958年生まれ、山口県出身。大学在学中にスポーツ中継のアルバイトで競馬と出会い、その後ホースニュース社に入社。専門紙「馬」の編集、本紙予想などを行う。08年より毎日新聞で本紙予想を担当。ほかに書籍や雑誌での原稿執筆や、「BSイレブン競馬中継」出演など、さまざまなメディアで活躍中。
馬を知るために北海道や海外へ
市丸:「中央競馬ワイド中継」に出演されるようになったのは、おいくつのころからでしたでしょうか?
丹下:40歳からだったと思います。子供ができたので、働かざるを得なくて(笑)。グリーンチャンネルもそうですし、あと本紙予想を担当するようになったのも、ほぼ同じ時期でした。本紙はその2年ほど前から合議制、分担制のような形でやっていましたけれど。
市丸:予想をされるようになって、特に心かげていたようなことや、エピソードなどはございますか?
丹下:実は以前から、これから予想は編集サイドが打つ時代になるだろう、とは思っていました。
市丸:と、いいますと?
丹下:美浦でも北と南がありますが、トレセンに行っていると、どうしても、それぞれ担当している側のことが中心になってしまうんですね。ただ、編集では両方のことがわかる。美浦と栗東や、北海道と小倉などでも、同じことが言えますね。馬の交流が盛んになると、いろいろなことがどんどん編集サイドに来るようになるだろうと考えていました。
市丸:ただ、現場で馬を見ていないとわからないこともありますね。
丹下:予想をつけるには、馬を知らないといけないことは確か。それで、どうしよう、なにかいい手はないかと、考えていました。ただ、トレセンに行くのは嫌だったんですよ。
市丸:それはなぜでしょう?
丹下:井崎が「行くな」と。「今から行っても馬の見方は大川慶次郎に負ける」と言うんですね(笑)。もし井崎が行っていれば、桁違いのトラックマンになっていたかもしれないと思うのですが、自分の生きる道はそこではないだろう、と。
市丸:では、どのようにされたのでしょうか?
丹下:血統と調教、そして実物のイメージを合わせる作業ですね。この血統だからこんな形の馬が出て、こういう調教をして、こんな時計が出るだろう。正直に言いますと、これに10年かかりました。
市丸:10年ですか! ただ、まったく馬を知らなければ、そのようなイメージも沸いて来ないと思いますが……。
丹下:それを確認するためには、トレセンに入る前に北海道へ行ったらいいのではないか、と考えました。30歳過ぎくらいから、社台グループの会報誌などの仕事をさせていただいていたのですが、そのカタログで毎年100頭くらい見たり、ツアーで牧場に行ったりしていました。また、そのうちセレクトセールが始まって、中央でデビューする(年)4000頭くらいのうち、1500頭くらいは見られるようになったんですね。そうすると、血統を見て「ああ、あの馬か」となり、それが調教でこんな時計を出しているのか、と。血統、馬体、調教がリンクしていく。
市丸:丹下さんはPOG関連の本を出されたり、多くの原稿を執筆されていますが、それもこのあたりから……。
丹下:POGは「予想家」になるための方便といいますか。たとえば、トラックマンの方たちが「今度メジロラモーヌっていうのが入るんだけど、すげぇんだぜ」とか、「シリウスシンボリが……」とか言われると、見たことがないのは悔しいですし、もっと知りたいと思うじゃないですか。でも、デビュー前でも国内なら北海道で見られますし、また、須田(鷹雄)くんと一緒に、海外のセリや種馬場を見に行くようにしていたら、イメージが掴めるようになりました。トレーニングセールですから、調教が見られるのも大きかったですね。負けず嫌いというか、人に後ろ指を差されるのが嫌で。「なんでお前は馬も見ていないのに新馬戦の印をつけられるんだ」と言われても、「いや、北海道で見たんだ」と言えますからね(笑)。ただ、それで出し抜こうとかいうことではなく、「こんないい馬がいるんですよ」と、みなさんと一緒に楽しめれば良いと思います。
- JRA公式データの充実度はそのまま!なのに、携帯画面でも見やすい!
- 基本情報からお役立ち機能、お楽しみ要素までしっかりご用意しています