私の競馬はちょっと新しい
第36回 ラジオNIKKEIアナウンサー 中野雷太さん
- 「JRAレーシングビュアーを実況の復習に活用しています」
- 1974年生まれ、愛知県出身。東京工業大学生命理工学部卒業後、97年にラジオたんぱ(現ラジオNIKKEI)に入社。99年夏より中央競馬の実況を開始、本年はオルフェーヴルの三冠すべての実況を担当した。「週刊競馬ブック」誌ではリレーコラム「こちらラジオNIKKEI実況席」を執筆、ケータイサイト「ラジオNIKKEIモバイル」では重賞予想も行っている。
先輩アナウンサーの声に衝撃を受けた配属初日
市丸:それから、どのような経緯でラジオたんぱ(当時)には入られたのでしょうか。
中野:アルバイトをしていたバーテンダーの仕事もすごく楽しくて、その道も考えたのですけれど、この仕事を生涯続けることは自分の体力では無理だと考えて断念すると、もう競馬しか浮かばなかったです。
市丸:競馬の仕事といっても、専門紙などいくつか道はあったかと思いますが、最初からアナウンサー志望だったのでしょうか?
中野:いえ、最初はJRA一本でした。
市丸:ほかに競馬関係の仕事は考えなかったのですか?
中野:それまで、高校も大学も1つしか受けずにきたので、JRAも一発勝負でした。他の人はOB訪問だなんだとやっていましたが、ひとつに決めているとヒマなんですよね。それで「JRAの試験っていつあるのかなあ」などと思いながらギャロップを読んでいると、ラジオたんぱの「レースアナウンサー養成講座」の案内が出ていたんです。「そうか、競馬の仕事ってアナウンサーもあるのか」と。それで、この講座にも通いました。
市丸:案内を見てすぐに決断されたのですか?
中野:最初に音声テストというのがあってマイクの前でしゃべったら、なかなか楽しかったんですね。また、スタジオから出てきたら、後に先輩になるディレクターに「なかなか良い声をしているね」と言われ「そうかな?」と(笑)。これも講座に行く決め手になりました。
市丸:もともと狙っていたJRAのほうは……。
中野:夏前くらいに試験があって、落ちちゃったんですよ。それで「どうしよう、やばいな、行くところないな」というときに「アナウンサー試験があるから、受けてみないか」と声をかけていただきました。
市丸:そして、見事合格!
中野:いやあ……、ひどいものでしたよ。今はアナウンサー試験を「する」側にまわっていますけれど、当時を思い出すと、よく内定したな、普通受からないよな、というほどでした。うちの会社も大きな賭けに出たものだと、しみじみ思います。
市丸:内定されてから、入社されるまでの間には、どのような準備をされたのでしょうか。
中野:わたしの場合は月に1回、会社に呼ばれました。それで「もう競馬のことは忘れろ」と言われましたね。とりあえず競馬のことはいいから、基礎的なことをやりなさいと。これは逆ですよね。普通はみんなアナウンサーになるために、まず基礎的なことをしっかりとやってくるものですが、わたしはこの段階で基礎練習をしっかりやりなさいと言われたわけです。ただ、それでもそう切羽詰まった感じもなく、真剣みのない練習をして、同時に卒論も進めていました。
市丸:入社してからはいかがでしたか?
中野:まずいくつかの練習があって、そして忘れもしない運命の4月15日ですよ。「スポーツ情報部」に配属されると、そこには競馬場で聞いていた声の主たちが並んで、会話をしているわけです。すると、わたしとは明らかに違うんですよ、声の質だったり、声の出方だったりが。「これはまずい!」「俺はとんでもないところに入ってしまった!」。はじめて目覚めたのが、この4月15日、配属の日でした。
市丸:それからは練習漬けの毎日ですか?
中野:毎日何時間もスタジオにこもって練習しました。先輩がなにかしているときは見学をし、空いているときはスタジオ練習を繰り返していましたね。毎日毎日、1日10時間もこもっていると、さすがに上司から「もうそんなにやらなくていいから」と言われることもありましたが、やらずにはいられない、やらなければ自分が食っていけない、という思いでした。
市丸:最初から「とりあえず番組でしゃべれ」ということにはならないのですね。
中野:ならないです。1年間はそういうことをするな、と。当時チーフアナウンサーだった白川(次郎)さんの方針でもあったのですが、まずアナウンサーの基本的な部分、スタジオワークなどを学んで、最初の半年は競馬場にも来るなと。ただ、結果的に半年後くらいからは競馬の成績番組を担当するようにはなりました。
市丸:スタジオワークといいますと……。
中野:たとえば、紙をめくるときのノイズがありますよね。競馬新聞を見ていてもガサガサっと音が鳴りますが、そういう音は聞いている人にとって耳障りだから、そういうことをしないように、と。そういったマナーを徹底的に学びなさいとのことでした。あるとすればニュースやコマーシャルといった、フリートークのない「原稿を読む」仕事で、それと同時にスタジオでの発声練習を、体をこわしても繰り返していましたね。
市丸:そこまでやられたのですか。
中野:体をこわせば迷惑もかけてしまうのですが、それくらいあせっていたんです。やってもやっても先輩たちに及ばない自分が、オンエアーの音を聞けばわかりますから。今思えば非常に非効率な練習方法で、もう少しいいやり方があったのではないかと思いますが、当時の自分にはそれしかできませんでした。
市丸:そして、さきほどお話しにもありましたが、半年ほどで成績番組を……。
中野:オープニングやエンディングに少しだけフリートークをする部分もありましたが、基本的には成績を読む番組でした。
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