私の競馬はちょっと新しい
第33回 タレント カンニング竹山さん
- 「今でもグラスワンダーには感謝しています」
- 1971年生まれ、福岡県出身。高校卒業後に上京し、92年にお笑いコンビ「カンニング」を結成。04年より単独で「カンニング竹山」として活動し、現在はバラエティーやドラマ、映画など幅広く活躍中。
今でも忘れない初めての競馬場
市丸:それでは、よろしくお願いします。まず、競馬との出会いからうかがえますか。
竹山:上京してからでしたから、20歳くらいだったと思います。それまで福岡に住んでいたのですが、競馬にはあまり良いイメージを持っていませんでした。福岡ボートに行く祖父を、うちの母は「またじいちゃんは一人でボート行って……」などと言っていましたし、「賭博場」に行くのは良くないことなんだろうな、と。
市丸:どのようなきっかけで変わられたのでしょう?
竹山:芸人の先輩から府中に誘われたんです。「一緒に行くはずの友達が行けなくなったから、お前、一緒に行こうよ」って。「賭博場に行くのは……」と嫌がったのですが、「一人で行くのは寂しいから来いよ」と言われ、ついて行きました。
市丸:いかがでしたか?
竹山:一気に印象が変わりましたね(笑)。競馬をほとんど見たことがなかったのもあって、府中のターフを見て「なんだ、この広さは!」「この美しさはなんだ!?」と思いましたし、また、サラブレッドが目の前を走っているときの音など、今でも忘れないくらいショッキングでもありました。
市丸:馬券も買われましたか?
竹山:「100円から買えるんだ!」「これで当たったらお金がもらえるんだ!」と(笑)。もう本当に知識はゼロで、京王線で馬柱の読み方を先輩から習いながら帰りましたね。それから、ずっと毎週のように競馬は見ています。
市丸:特に途切れることもなく……。
竹山:ないですね。だいたいずっと見ていました。
市丸:そのころでは、どんな馬が記憶に残っていますか?
竹山:その日になにを見たかは覚えていないのですが、ネーハイシーザーの毎日王冠(94年)を見たときには、もう「競馬が好きになったな」という印象があります。また、そのころにフジノマッケンオー(94年皐月賞3着、同年根岸S1着など)を好きになって、追いかけている自分がありました。「好きな馬って出来ないかな?」と思っていたときに出会った馬でしたね。
市丸:もう、そのころからはどっぷり競馬にはまっている感じですか?
竹山:京王線で府中に通えるように、高円寺から笹塚に引っ越したくらいです(笑)。仕事もあまりなくて、ほとんどアルバイトで生活していたので、土日はほぼ競馬場に通っていました。23歳のころです。
市丸:馬券の成績は……。
竹山:良くないですね。むやみやたらに買ってしまったり。生活もぐちゃぐちゃで、府中から笹塚まで歩いて帰ったことも何度かありました。最後「500円は取っておかなきゃ」と思ってはいるんですけれど、やっぱり最終レースになると「くっそぉ!」となってしまうんです。それですっからかんになって、歩いて夜に家へ着いたりしていました。それが怖いので、そのあとは原付で通うようになりましたね。
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