私の競馬はちょっと新しい
第28回 中央競馬調教師 角居勝彦さん
- 「いい馬を作り続けていくのが使命だと思っています」
- 1964年生まれ、石川県出身。グランド牧場勤務から、中尾謙太郎厩舎、松田国英厩舎での調教助手を経て、00年に調教師試験に合格。開業後はデルタブルース(菊花賞)を皮切りにウオッカやカネヒキリなどG1馬を続々と送り出し、本年はヴィクトワールピサで日本馬として初めてドバイワールドC制覇を果たした。
「全然近くない4着」だったカネヒキリのドバイワールドC
市丸:そのデルタブルースで遠征される前の年、菊花賞を勝たれた翌年(05年)に、シーザリオでアメリカンオークスを勝たれました。
角居:桜花賞2着の時点で行きたいという意向を見せれば推薦されそうだ、という話は聞いていまして、オークスを勝つようであれば狙いに行きたいと、オーナーやスタッフと話をしていました。
市丸:アメリカを選ばれた理由というのは、アメリカの芝が向きそうだとか、そういったことですか?
角居:アメリカはダートの競馬がメインで、ダートでは厳しい馬たちが芝へ向かうというイメージが強い競馬だったというのがひとつですね。あと、行くなら輸送のリスクも人間の負担も少ない西海岸で。
市丸:初めての海外制覇でしたが……。
角居:とんとん拍子で「うまくいったなあ」って思いましたね。
アメリカンオークス(シーザリオ)
市丸:この年にはハットトリックでも香港マイルを勝たれました。
角居:1年に2回もこんなことがあっていいのかな、と(笑)。
市丸:この年はダートでもカネヒキリが活躍しましたが、翌年に遠征したドバイワールドCは繰り上がりで4着でした。このときは……。
角居:良い状態で連れて行けましたし、下調べ、下準備もかなりしっかりしていったのですが、全然近くない4着だな、と思いましたね。
市丸:ただ、その秋にはデルタブルースでメルボルンCを勝たれました。しかも、ポップロックとワン・ツーで。メルボルンCはオーストラリアではお祭りのようなレースだそうですが……。
角居:わたしも初めてのメルボルンCでしたし、「こんなすごいことになっているのか」と初めて気づいて、また勝ったことで「とんでもないことになったな」と。このメルボルンCと、ロイヤルアスコット開催、そしてドバイは、調教師としてぜひオーナーを連れて行きたい競馬です。
市丸:そのメルボルンCの直前にウオッカがデビューしましたね。そして阪神JFを勝たれて、その後のダービーというのはいつごろから?
角居:登録が前の年の秋にあるので(本年のクラシックでは昨年10月22日が第1回登録の締め切り日)、牝馬ですけれどそういう事務的な作業は全部しておこう、と登録していました。
市丸:しかし、桜花賞では2着に負けてしまいました。それでもダービーへ向かったのは?
角居:わたしもオーナーも、桜花賞を勝ってダービーに行くんだ、という気持ちが強かったですし、報道の皆さんもそういう形で盛り上げてくださって……。ただ、それで負けてしまって「やっぱりオークスかなあ」という話になりました。ただ「やっぱり」という言葉にひっかかっていたんです。それで皐月賞やダービートライアルの様子は気にしていました。口では「オークスだ」と言いながらも。
香港マイル(ハットトリック)
市丸:最終的にはどのように決めたのですか?
角居:なかなか挑戦できないので、ダービーに行かせて欲しいです、と言ったら、オーナーが「それならそれでいい」と了承してくださいました。
市丸:それであの圧勝になったわけですが、当時の気持ちは……。
角居:うれしい……(笑)。なんとも言いようがないですよね、初挑戦でしたし。出走させてから「牝馬で出ちゃまずかったかな」なんて思ったりもしましたけれど。
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