私の競馬はちょっと新しい
第28回 中央競馬調教師 角居勝彦さん
- 「いい馬を作り続けていくのが使命だと思っています」
- 1964年生まれ、石川県出身。グランド牧場勤務から、中尾謙太郎厩舎、松田国英厩舎での調教助手を経て、00年に調教師試験に合格。開業後はデルタブルース(菊花賞)を皮切りにウオッカやカネヒキリなどG1馬を続々と送り出し、本年はヴィクトワールピサで日本馬として初めてドバイワールドC制覇を果たした。
人や馬の状態が一番いいところを見つけ出す調教師の仕事
市丸:01年に開業されて、翌02年にはすぐにブルーイレヴンで初重賞、東京スポーツ杯2歳Sを勝たれました。
角居:無我夢中で、なんで取れたのか、どうしてか、わからないままでした。
市丸:でも、すぐに活躍されて、その後も毎年のようにG1ホースを出されていますが、ノウハウが最初から結実していったと考えていいのでしょうか。
角居:ノウハウなんてあってないようなもので……。厩舎というのは、自分のスタッフを自分で選んでこられないという珍しい会社で、どの人材がどんな仕事や馬に合っているのか、そんな組み合わせばかりを考えていましたね。
市丸:ご自身でも乗られていますが、調教師としての仕事はまず、スタッフを適材適所に配置する、というお考えですか?
角居:調教師にはいろいろなスタイルがあって、「こうじゃなくちゃいけない」というのはなにもないと思います。そんな中で、自分が一番得意とする姿の調教師像が、人や馬の状態が一番いいところを見つけ出す、ということなんですね。あとは全部苦手なんです(笑)。
市丸:少し話は戻りますが、初めて重賞を勝たれたブルーイレヴンはどんな馬でしたか?
角居:浦河のトレーニングセンターで見て、金子オーナーに買っていただいた馬でした。その動きがスピードあふれる躍動感いっぱいで、ハミのコントロールさえうまくつけばという、片鱗は見せていました。暴走気味でしたけれど(笑)。
市丸:少し難しいところのある馬でしたよね。それから3年めで菊花賞を勝たれたデルタブルースについては……。
角居:その前の年に、姉のディクシージャズ(本年のシンザン記念、毎日杯優勝馬・レッドデイヴィスの母)という馬を預かっていました。血統背景的に牧場では期待されていたのですが、脚に不安があって、デビューできるかどうか、という話でした。それで一生懸命やって、競馬でも2着にはきたのですが、脚がもたなくなりそうで繁殖に上がることになったんですね。それで弟のデルタブルースが入ってきたのですが、血統的には期待されていましたし、大柄で素晴らしい馬でもありましたから、良い競馬ができればいいな、と思っていました。
市丸:04年秋に1000万の九十九里特別を勝って菊花賞に向かわれましたが、1000万を勝ったときから次は菊花賞だと?
角居:距離が長ければ長いほど良いと思っていましたからね。未勝利のうちから500万(芝2400m)を使ったりしていましたし、長いところなら、と。
市丸:それから06年にメルボルンCを勝つことになりますが、早くから長いところなら海外でもという思いは持たれていたのですか?
角居:いえ、それは全然。まだ開業早々、3年目でそこまでは考えていませんでした。ただ、ノーザンファームのほうから、長いところで強い馬ならオーストラリアにハンデ戦でメルボルンCといういいレースがあるとは聞いてました。また、デルタブルースで遠征する前の年に、同じサンデーレーシングのアイポッパーが行っていましたので(コーフィールドC2着、メルボルンC12着)、そのころには、体調が良かったら連れて行けるな、という話はしていました。
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