私の競馬はちょっと新しい
第24回 中央競馬調教助手 谷中公一さん
- 「ファンに競馬の楽しさ、おもしろさを伝えていきたいです」
- 1965年生まれ、長野県出身。1985年に中央競馬の騎手としてデビューし通算145勝。現在は阿部新生厩舎所属の調教助手。スポーツ紙でのコラム執筆や、グリーンチャンネル「A1 NEWS STAGE」出演など、各メディアで活躍中。また、美浦でドッグガーデン「WANだら〜」を経営している。
馬事公苑では学力、技術ともトップ! しかし……
市丸:授業や食事制限などはどうでしたか?
谷中:それも厳しかったですね。今は「自主規制」のような形で候補生に任されている部分も多いようですが、当時は食事の量も決まっていて、外出なんて全然できませんでしたし、お菓子とかすごく飢えてましたね。
市丸:寮から抜け出して、なんて話も聞いたりしますが……。
谷中:あるとき、親に「お菓子とか甘いものに飢えている」という手紙を、暗号のようにして出したことがあったんですよ。そうしたら長野から世田谷まで、当時は道もあまり整備されていない中、何時間もかけて来てくれたんです。寮と道路の間にある塀の隙間から何時に、とか手紙で打ち合わせて。
市丸:ちゃんと会って話をしたりできないのに?
谷中:顔も見られない、手だけしか見られない。お菓子だけ渡して「元気でやれよ〜」って。小さい声で「ありがとう、ごめんね」って、涙を流しながら戻っていったという、忘れられない思い出があります。
市丸:でも、寮では点検とかもありますよね?
谷中:あ、すぐ見つかりました(笑)。そうすると「罰訓練」というのがあって、もうそれは厳しかったですよ。裸馬で走らされたりとか。
市丸:乗馬経験もなかったそうですが、最初に馬に乗ったときはいかがでしたか?
谷中:ポニーからはじめるのですけれど、最初はそれでも落とされているような状態で。「こんなんでジョッキーになれるのかなあ」と思いましたね。ただ、訓練で毎日乗っていると不思議とできるようになるもので……、馬事公苑を出るころには、学力も技術もトップだったんです。ただ、騎手免許の試験は1回落ちてるんですよね。同期の中舘騎手も木幡騎手も一発で受かったのですが……。
市丸:それはどうしてしまったのですか?
谷中:卒業したと同時に浮かれてしまい、酒を飲んで急性アルコール中毒で入院してしまったんです。
市丸:もったいない!
谷中:恐らくそれが原因で(笑)デビューが1年遅れて、競馬学校1期生の柴田善臣騎手など同期デビューになりました。
市丸:騎手時代は通算145勝でした。
谷中:数字としては、まあ全然ダメですけどね。ただ、長くやってしまったという……。
市丸:印象に残っている馬などは……。
谷中:クラシックに乗ったダッシュフドー(92年皐月賞12着)と、あと、最後に乗ったトウショウギアですね。
市丸:やっぱり皐月賞は緊張されましたか?
谷中:しましたね。クラシックというのは雰囲気が違うもので、前の日から緊張して、当日パドックで騎乗するときにコケたのは覚えてます(笑)。
市丸:馬に乗ってからはどうでしたか?
谷中:またがったらその緊張感はなくなったのですけれど、今度は馬場に出てからの声援がすごかったです。また、輪乗りしているときの雰囲気も、みんな殺気立っているというか……。レースが始まってからは他のレースと同じでしたけれど、でも、すごくいい経験でした。
- JRA公式データの充実度はそのまま!なのに、携帯画面でも見やすい!
- 基本情報からお役立ち機能、お楽しみ要素までしっかりご用意しています