私の競馬はちょっと新しい
第23回 競馬評論家 合田直弘さん
- 「感動的な場面により多く出会うためのお力添えをしたいです」
- 1959年生まれ、東京都出身。乗馬経験を生かし、高校時代には育成牧場でアルバイト。大学卒業後はテレビ東京に入社、競馬中継の制作などにたずさわる。その後、有限会社リージェントを設立。海外競馬を日本に紹介する業務などを行い、現在は各メディアで競馬評論家として活躍中。
牧場でのアルバイトをきっかけに競馬の仕事を意識しはじめる
市丸:それではよろしくお願いします。合田さんは1959年生まれだそうで、わたしと同い年なのですが……、最初に見た競馬の記憶はいつごろですか?
合田:父親がたいへん馬券が好きで、土日というと午後のテレビはたいてい競馬中継がついていましたね。
市丸:覚えてらっしゃるレースとか、馬ではいかがでしょう?
合田:タニノムーティエですね。あの馬の追い込みがものすごく格好良く見えたんです。子供のころ、駆けっことかリレーで最後に追い込むやつって格好いいじゃないですか? なんとなく、それと同じような感じでタニノムーティエを見たのが一番古い記憶だと思います。小学校5〜6年くらいですね。
市丸:もう若いうちから、将来は競馬のお仕事を意識されていたのでしょうか?
合田:それは高校くらいですかねえ……。
市丸:中学のころにハイセイコー、そして高校だとTTG(トウショウボーイ、テンポイント、グリーングラス)とかですよね。
合田:そうですね。中学1年のときに馬に乗り始めまして、馬術部でずっと馬に乗っていたんです。それで、馬術と同時に競馬のほうにも大きな興味を持ち始めたのが、中学3年から高校1年くらいだったですね。
市丸:そのきっかけというのは?
合田:馬術部の同級生に千葉新田牧場の新田君がいまして、冬休み、春休みあたりの馴致で競馬場に送り出す直前が忙しいとのことで、アルバイトをさせていただいたのです。
市丸:千葉ですと、もうトレセン入り直前の育成ですか?
合田:ええ。ちょうどそのころ美浦のトレセンができて、近辺に民間の育成場がいくつもできはじめて、千葉新田牧場も以前の生産から、そのころは育成が中心になってきていました。ただ、施設はできたけれど乗り役がいなくて、「馬術部の人を集めてこい」ということだったようです。
市丸:お住まいや学校は東京だったのですよね?
合田:そうですね。ですから、冬休み、春休みとか、育成がいちばん忙しい時期に泊まりで乗りに行ってました。毎日6鞍とか7鞍とか。あと、そのころはシンボリ牧場や千代田牧場、東牧場など、まだ千葉で生産をしている牧場も多くあって、千葉新田牧場にいたダストコマンダーという種馬の種付けのお手伝いもしました。千葉新田牧場も繁殖をやっていたので、お産の手伝いもしましたし。
市丸:馬術や育成のアルバイトは大学へ行かれてからも?
合田:広いところで乗るのがおもしろくて、大学になると馬術ではなくほとんど育成場で乗っていました。
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