私の競馬はちょっと新しい
第22回 オリオンファーム場長 三浦啓一さん
- 「少数精鋭で日本のトップを目指しています」
- 1962年生まれ、北海道出身。酪農学園大学卒業後、カナダに留学。帰国後は三浦牧場富川分場で競走馬の育成に携わる。06年に富川分場が生産中心のオリオンファームに装いを改め、場長に就任。オリオンファーム所有馬のアンペア、オノユウが2年連続でエーデルワイス賞を制覇するなど活躍中。
日本語の通じない環境で馬とは心が通じた
市丸:それで帰国されてからは、実家で働かれていたのですか?
三浦:いえ。ここ(現オリオンファーム)が当時三浦牧場の富川育成場で、最初からここで働いていました。
市丸:馬にかかわる仕事に就くことを決心したきっかけのようなものはあったのでしょうか? 小さいころからそのつもりだったのですか?
三浦:最初は、競走馬の牧場はちょっとどうかなあ、とも思っていました。ただ、カナダへ行って、2年いればなんとか英会話はできるようになるのですけれど、どうしてもネイティブな人同士の会話についていくのは苦労したんです。そんなときに、会話をできたのは馬だけ、馬とは心通じたんですね。それで「天職は馬なのかな」と思って決心しました。
市丸:いいお話しですね。それで、戻られたときは、ここは育成中心だったわけですね。
三浦:そうですね。しばらく育成場としてやってましたが、06年から独立して繁殖中心の「オリオンファーム」に生まれ変わりました。
市丸:それでアンペア、オノユウが……。
三浦:この2頭は生産馬ではなく買ってきた馬なのであまり威張れないのですが、2年連続でエーデルワイス賞を勝たせていただきました。
市丸:オノユウのときは結構儲けさせていただいた記憶があります(笑)。あとアンペアは、その後関東オークス3着もあって、すごいですね。
三浦:勝たないとダメですよ(笑)。ただ、2歳のときに喉頭蓋エントラップメントという病気を患って、南関東に持って行ったときは本物じゃなかったんです。今もまだ、2歳の強いときのパフォーマンスは出せていないように思えます。
市丸:ただ、こちらに戻ってオープンのサウスヴィグラス賞も勝っていますね。
三浦:短いところに絞ったらごまかしが効いた、というのもあると思います。もう一度交流重賞、来年の北海道スプリントCあたりでいいところを見せたいですね。
市丸:オノユウはその後、東京2歳優駿牝馬で2着になりましたね。
三浦:勝った馬(プリマビスティー)が強かったのですが、負けたくない競馬でしたね。その後は体が減ってしまって、内面からくる体調不良だったと思うのですけれど、ようやくここにきて良くなってきたので、来月あたりに競馬場に戻そうかと考えています。
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