私の競馬はちょっと新しい
第20回 競馬エイト トラックマン 松本ヒロシさん
- 「馬柱やJRA-VANのデータを眺めるのは大好きです」
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1963年生まれ、京都府出身。平成元年に神奈川大学中退後、競馬エイト紙でアルバイトを開始。同年に編集から現場担当に異動、翌年に紙面では「覆面トラックマン」としてデビュー。現在はフジテレビ「みんなのKEIBA」に出演するなど多方面で活躍中。
競馬の資料があるところで働けるというだけで幸せ
市丸:大学を出られてすぐ競馬エイトに入られたのですか?
ヒロシ:大学は3年で、実はあと1年残っていたんです。最初は大学に通いつつアルバイトができれば、と思っていたのですが、実際に紹介してもらって面接にいったら、とても時間的に学校には行けない感じでした。当時の部長には「もう1年大学あるんだし、ちゃんと卒業してから来てくれれば」と言われたのですけれど、「このチャンスを逃したら次はない」と自分なりに思って、親にも黙って大学を辞めてしまいました。
市丸:編集のお仕事ですか?
ヒロシ:ええ、最初は編集部で。
市丸:ただ、後々は現場に出て仕事をしたいと思われていたのですよね?
ヒロシ:入ってからも「最終的には現場で仕事したいんだよな?」なんて言われましたが、当時はそこまで考えてなかったですね。ほかにもそういう希望を持たれていた方はいますし、実際「何年たったら(現場に)出られるとかは言えない」と言われてましたから。
市丸:さきほど、競馬をやっててお金になるなら幸せ、という話も少しありましたが……。
ヒロシ:そうですね。競馬に関わってお金がもらえれば、それが最高だと。それまで、お金を稼ぐために外の仕事……、測量やボーリングをやったり、ホテルのレストランでウエーターをやったりしていましたが、初めてお金のためだけじゃなく働きました。最初は交通費なしで手取り月14万とかだったのですけれど、それでも競馬の本とか資料があるところで働けるというだけで幸せでしたね。
市丸:それから「覆面トラックマン」としてデビューされるまで、どのくらいかかりましたか?
ヒロシ:半年くらいしたときに部長に呼ばれて、「おまえ、現場行け」って急に言われたんです(笑)。
市丸:当初の話からすると、ずいぶんと急ですね。それで予想もすぐに?
ヒロシ:いえ、紙面で予想を出したのは翌年の春くらいですね。全レース予想するのではなくて、推奨馬を毎日2頭、土日で4頭。原稿的には10行くらいだったと思います。
市丸:「覆面」というアイディアを出されたのは?
ヒロシ:部長です。「名前を出さず『覆面トラックマン』でやりたいんだけど、どうだ?」と。自分としては「どうだ」もなにもなく、なんでもいいです、みたいな(笑)。
市丸:全レースの予想をはじめられたのはいつごろですか?
ヒロシ:平成2年の9月か10月、北海道から帰ってきたときだったと思います。新人は普通、あまり目立たないところから印をつけはじめるものですが、ありがたいことに「おまえはここでつけろ」と一番上の欄をいただいて。
市丸:当時「この覆面とかいう人、結構当たるなあ」と思ったのは覚えてます(笑)。ただ、トレセンですぐに関係者の方々と仲良くなるのは難しいようにも思えますが、当時いかがでしたか?
ヒロシ:緊張するとかじゃなくて、当時はもうトレセンに帰れるのがうれしくて仕方ありませんでした。それで、興味のあるオープン馬とかいれば担当厩舎じゃなくても勝手に行って、「競馬エイトの新人の松本と申します」とか挨拶して話をうかがったり。今考えたら「すごかったな」と思いますね。
市丸:担当じゃないところに勝手に行って、社内的に問題になるようなことは……。
ヒロシ:いえいえ、そんなことはなかったですよ。物怖じせずあちこち行ってました。
市丸:あこがれの美浦、ですよね。
ヒロシ:初めて美浦に行ったときはうれしくて眠れなかったですから(笑)。4時とか4時半に起きなきゃいけないので、夜8時くらいには布団に入ったのですけれど、興奮しちゃって全然寝られなくて。なんかそれはすごく覚えてますね。
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