私の競馬はちょっと新しい
第20回 競馬エイト トラックマン 松本ヒロシさん
- 「馬柱やJRA-VANのデータを眺めるのは大好きです」
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1963年生まれ、京都府出身。平成元年に神奈川大学中退後、競馬エイト紙でアルバイトを開始。同年に編集から現場担当に異動、翌年に紙面では「覆面トラックマン」としてデビュー。現在はフジテレビ「みんなのKEIBA」に出演するなど多方面で活躍中。
小学6年のとき、カブラヤオーのダービー逃げ切りで興味を持つ
市丸:それでは、よろしくお願いします。まず皆さんには、競馬に関わりだしたきっかけからうかがっているのですが……、ヒロシさんは京都出身でいらっしゃいますよね?
ヒロシ:高校までですね。大学は横浜で……、神大(神奈川大学)だったのですけれど。
市丸:競馬とのつきあいは高校あたりからですか?
ヒロシ:いえ、小学校6年生かな? カブラヤオーがダービーを勝ったのが(1975年)。
市丸:小学6年ですか!
ヒロシ:親は競馬をまったくしない人だったのですが、叔父が競馬大好きで。当時、外回りの営業をされていたのですけれど、土日とか3時過ぎになると家に来て「ちょっと競馬見せて」って。それでよく一緒にテレビ中継を見ていました。
市丸:小学生だと単純に馬が走っているのを見て面白いとか、そういう感じでしたか?
ヒロシ:そうですね。わからないなりにテレビを見て、わからないなりに楽しんで。なにもわからないくせに、KBS京都のダイジェスト番組を夜遅くに見ていたり(笑)。
市丸:ちょうど見始めたころに、カブラヤオーのダービーがあったのですね。ものすごいハイペースの逃げ切りで。
ヒロシ:「カブラヤオーってすげぇ馬だな」と。それで中学1年になると「3強」で……。
市丸:TTGですね(テンポイント、トウショウボーイ、グリーングラス)。
ヒロシ:ダービーでトウショウボーイがクライムカイザーに負けたのがショックでしたね(笑)。そのころから、スポーツ的な感覚で競馬はずっと見ていて、キョウエイプロミスが日本馬として初めてジャパンCで連対したとき(83年)はうれしかったです。テレビ見ながらすごく応援して「やったー!」って。
市丸:キョウエイプロミスのときはもう高校生になると思いますが、そのころには京都競馬場に足を運ばれたりしていましたか?
ヒロシ:いえ、それはありませんでしたね。
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